2004年8月1日  聖霊降臨後第9主日 (C年)


司祭 エリシャ 富田正通

聖書には立派なことがかいてあるな!! でも。

 憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主もあなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。【コロサイの信徒への手紙3:12〜14】 
 聖書に良いことが書いてあるけれど、私のような凡人にはとてもこんな事できない。聖書を読んだだけで、あきらめてしまう人が多いようです。実は、牧師をしている「私も出来ないなー」。「出来るようになればいいなー」と思っています。この文章を書いたと言われるパウロ自身も私と同じ状態のようです。彼は「私はなんと惨めな人間なのだろう。したいと思っている良いことができず。したくないと思っている悪いことをしてしまう」と別のところに書いています。 
 「なんだ、それならこんな立派なことを書かなければ良いのに。自分が恥ずかしくないのか」ということになるかもしれませんね。でも、パウロは上の文で、「主もあなたがたを赦してくださったのだから」と言っています。パウロは、自分は出来の悪い人間なのだと実感しているから、主イエス様によって赦されている喜びを多くの人に伝え、赦してくださっているイエス様の愛に少しでも報いたいと考えたのでしょう。みんなで向上しましょうよとの訴えであって、決して<お説教>ではないのです。 
 私の教会で結婚式を挙げたいという人が増えてきました。連日の結婚カウンセリングに悲鳴を上げ、教会委員会と相談して、挙式料を15万円に大幅値上げをしました。それでも年間10組程度を引き受けています。教会で結婚式を挙げた方は幸福な結婚生活を営んで欲しいとカウンセリングで上記の聖書の言葉をお話します。
 この中で、『「しあわせ」は漢字でどう書くの』と聞きます。全員が「幸せ」と答えます。そこで、おもむろにパソコンに「しあわせ」と入力して変換キーを押します。「仕合せ」が表示されると、彼らは意外そうな表情をします。そこで、「仕え合う」ことの大切さにウンチクを傾けることになります。
 互いに赦しあい、仕え合うことの重要さは新婚の方だけに当てはまることではありません。家庭の中でも、会社や友達、ご近所との付き合いでも大切ですね。みんながそうなれば、世の中はどんなにか住みやすくなるでしょう。
 そのためには、「わたしは、上記の聖書のことばのようなことは出来ないのです」と自分から打ち明ける勇気が必要でしょうね。そうすると、相手も安心して、「実は自分もそうなんです」と本音を言ってくれるでしょう。
 パウロは、本音で付き合い、自分の欠点を少しでも修正し、幸福な世の中を作り出そうと呼びかけているのでしょうね。