2004年9月26日  聖霊降臨後第17主日 (C年)


司祭 ヨハネ 井田 泉

天国の門を通りにくくするもの

 天国の門の前でペテロが待っています。ペテロは人を迎え入れようとして待ってくれているのです。
 そこに財産をたくさん抱えた人がやって来ました。その人は門を入ろうとするのですが、財産で着ぶくれしているせいで入ることができません。門はそれほど広くはないのです。ペテロはその人を入れてやろうと一所懸命押したり引いたりするのですが、どうしても門を通ることができません。
 そこに地位と業績を高く積み上げてそれを足にはいた人がやって来ました。その人も門を入ろうとするのですが、門が低くて入れません。その履物を脱いで腰を曲げれば簡単に入れると思うのですが、そのようにペテロが説得しても聞こうとしません。
 そこに知識を一杯頭に詰め込んだ人がやって来ました。あらゆる分野に通じていて、「先生」と呼ばれ、世間からは一目も二目も置かれている人です。着ぶくれしているわけでもないし高い靴を履いているわけでもないので、簡単に門を通れるかと思われました。ところが、何度近づいても跳ね返されてしまって通れないのです。何か天国の門には特別なセンサーが働くようになっているのでしょうか。
 その3人が何度もぶつかっては跳ね返され、くたびれて困惑しているうちに、別の人たちがやって来ました。
 貧しい人が門をすっとくぐって入っていきました。地位も業績もない世の中で軽んじられている人が通過しました。無学と言われ、世間からバカにされている人が通りました。悲しんでいる人、迫害されてきた人、自分の誤りを気にして苦しんできた人をペテロは優しく迎え入れてくれました。
 天国の門はある人には簡単に入れ、ある人にはどうしても入れないようです。
 入れないで困惑している人のためにも、イエスさまがおいでになって何とかしてくださるかもしれません。しかしイエスさまはきっと、「その着ぶくれしているのを横に置け」「高すぎる靴を脱げ」「神と人に触れることを妨げているその知識を捨てよ」と言われるのではないでしょうか。
 「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。」テモテへの手紙T6:17−21