2004年11月7日  聖霊降臨後第22主日 (C年)


司祭 サムエル 小林宏治

「復活についての問答」【ルカによる福音書20:27―38】

 今日の聖書の個所は、復活があることを否定するサドカイ派の人々の質問に対して、イエスが答えられた場面です。
 サドカイ派は、ユダヤ民族の中でも、上流階級の祭司や信徒による集団でした。宗教的には保守的で、モーセの律法の文字通りの解釈を固持し、ファリサイ派のように、状況にあう解釈をせず、即成の制度に固執していました。彼らは、モーセ五書には、復活思想がないので、復活を信じるファリサイ派と対立していました。
 イエスの教えやその働きは、サドカイ派の人々の特権を脅かすものでした。そのため、彼らはイエスにモーセの権威を引き合いに出しながら、悪意に満ちた譬を持ち出したのでした。もし復活があるとすれば、不合理なことが起こるとして、イエスに説明を求めました。こどもを産む前に夫を亡くしたため、律法に従って、その後世継ぎをもうけるために、前の夫の兄弟たちと次々に結婚した婦人がいた場合、死んで復活する時、彼女は誰の妻となるのかという質問でした。
 イエスは「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない」と言われた。イエスは、来世の復活が現世と同じ状態であることを否定されました。
 また、「死者が復活することは、モーセも柴の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである」とも言われた。イエスは神がモーセに伝えたことの意味を示されました。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだと。神がモーセにその民を解放するという役目を与えました。神がエジプトでユダヤの人々が受けていた抑圧、苦しみ、痛みを知られたからでした。民族の死滅の危険に対して、神は彼らを救われたのです。彼らが生きている者であったからです。神への信頼に生きていたからです。それゆえ、神はモーセを遣わせて、その痛みを取り除かれたのでした。神は人々に対して神の正義を示されたのでした。
 神は、すべての人々に、何によって生きているのかを問われます。すべての人は、神によって生きているのであると。また、その人々に、神のみ業を示されます。そして、神に信頼して生きている者は、その死を超えて神とともに生きる者とされるのです。