2005年2月6日  大斎節前主日 (A年)



司祭 ヨハネ 下田屋一朗

 大斎節前主日の福音書には主イエスの「変容貌」の場面が選ばれており、A年はマタイ福音書、B年はマルコ福音書、C年はルカ福音書からそれぞれ該当する箇所が読まれます。今年はA年ということでマタイによる福音書17:1−9が用いられます。教会暦にはほかにこの出来事を特別に記念する変容貌の祝日(8月6日)があって、特に東方教会では顕現日や復活日と並ぶ最も重要な祝日の一つとされており、古来さまざまなイコンが描かれてきました。この変容貌祝日の福音書は毎年同じでルカ福音書が朗読されます。この祝日が変容貌の出来事を独立した暦日として祝うのに対し、大斎節前主日における変容貌の朗読は主イエスのご生涯の時の流れの中にしっかりと位置づけられています。
 大斎節前主日は一方では顕現節最後の主日ですが、その三日後の水曜日(大斎始日=灰の水曜日)から大斎節が始まりますから、他方ではその名が示す通り大斎節の備えをする主日です。すなわち、神の御子イエス・キリストが人としてこの世に来られたことを記念する降臨節―降誕節―顕現節の三つの期節を締めくくると同時に、御子が来られた目的の成就の時である十字架の死と復活―昇天―聖霊降臨を迎える準備の期節としての大斎節へ導入する主日です。
 福音書において、変容貌の記事はイエスの生涯における分水嶺の位置を占めています。たとえばマタイ福音書の場合、全28章の中の第17章に変容貌の出来事が記されていますが、それより前の各章において、イエスの言動や出来事を通して彼が神の御子であることが明らかにされて行き、第16章でついにペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰を告白するにいたります。それを受ける形で「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」(16:21)と記され、御子が世に来た目的がご自身の死と復活によって成就することをはじめて明言されます。変容貌の出来事はその直後(六日の後)に起こり、それを境に主は受難の時に向かってまっすぐに歩み始められます。ですから大斎節前主日こそこの箇所が読まれるのにふさわしい日となります。
 「イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」(17:1−3)。十二使徒の中でもペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人は特に大切な場面で主イエスに同行を許され、その証人となります。受難の夜にも、ゲツセマネでの祈りの時、主はこの3人を伴って行かれます(26:36)。モーセは律法を象徴します。神はモーセを通してイスラエルの民に律法を与えられました。エリヤは預言者を代表します。死なずに天に挙げられたと言われるエリヤはメシアが来る前に再び現れると信じられていました。「律法と預言者」は聖書(旧約)全体を指す言葉として用いられますから、この場面でのモーセとエリヤの登場はイエスにおいて起こる事柄が聖書(旧約)全体によって証しされていることの表現となります。そしてこの後、光り輝く雲が彼らを覆い、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえます。イスラエルが荒野を旅したとき、臨在の幕屋は雲に覆われ、主の栄光が幕屋に満ちました(出エジプト記40:34)。律法と預言者に加えて父なる神ご自身がここでイエスが神の子であることを確証され、神の御心と御業がすべてイエスを通して示されることを宣言されました。
 御子を通して成就される神の御心とは、神に背いて己が道を歩んできた人類と神との引き裂かれた関係を修復して和解を成し遂げることであり、そのために御子を十字架につけることでした。ゲツセマネでイエスは「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈り、十字架への道を甘受されました。変容貌の場面で聞こえた「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉は、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に天から聞こえてきた声(3:17)とまったく同じです。それによってイエスの公活動の開始が告げられた同じ言葉が、受難の時の始まりを告げると同時に、光り輝く姿によって御子の受けるべき栄光が予示される。逆説に満ちた救いの秘義が弟子たちに啓示された時、それが変容貌の出来事でした。