2005年7月31日  聖霊降臨後第11主日 (A年)

 

執事 サムエル 奥 晋一郎

 本日の福音書の箇所はマタイによる福音書第14章13節から21節までの箇所で「5千人に食べ物を与える」というタイトルがついている箇所です。この箇所で、イエスさまは、人里離れた場所にいるイエスさまを追いかけてきた群衆を見て、深く憐れまれました。そして、弟子たちが用意していたパン5つと魚2つを取り、祈り、パンを裂き、弟子たちを通して、その場にいたすべての人たちに与えられ、その人数は男だけで5千人であったと書かれています。
 単純にこの箇所を見てみますと、どうしてイエスさまは5つのパンと2匹の魚だけで大勢の人々を満腹にさせることができたのか、そんな事はあり得ないと思ってしまいます。また、私たちが住む現在において、食べ物はたくさんあります。そのような状況にあっては、人里離れた場所で、食べ物がないなどという状況はより一層考えにくいように思えます。
 しかし、この箇所は、イエスさまがパンと魚を渡したというお話を通して、私たちに大切なことを伝えています。15節以下で、イエスさまは大勢の群集を憐れんで、パンを取り、賛美の祈りを唱え、裂いて、渡すことが書かれています。これは聖餐式の伝承、最後の晩餐の先触れであるといわれています。そして、弟子たちはそのパンを群集に配ったことによって、弟子たちが伝達者としての役割を果たしていることを示しています。また、残ったパン屑を集めた籠が12であったと書かれています。これはイスラエルの12部族を示しているといわれています。そのイスラエルの12部族、イスラエルの民は後にイエスさまを拒絶し、十字架に架けてしまいます。しかし、イエスさまはそのイスラエルの民を裁かず、十字架の道を歩み、憐れみをお示しになりました。このことは現在の私たちを裁かずに憐れんで下さっていることを示していると思います。
 現在は食べ物がたくさんあり、人里離れた場所に食べ物がないなどとは考えにくい状況にあります。何によって生かされているのかを考えるのが難しい状況あるように思います。しかし、だからこそ、私たちは本当にイエスさまによって生かされている、わたしたち一人一人を憐れんで下さっていることを覚えることが大切であると思います。その憐れみを具体的に示す為に、イエスさまはパンを取り、賛美の祈りを唱え、裂いて、渡すという聖餐を制定してくださったことを覚え、聖餐に与ることが出来ればと思います。