2005年8月21日  聖霊降臨後第14主日 (A年)


司祭 ダニエル 大塚 勝

 「あなた方はわたしを何者だと思っているのか」とイエスはお訊ねになりました。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。ペトロの信仰告白です。これに対しイエスは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」と云われ、ペトロという新しい名を彼にお与えになりました。イザヤ書には「アブラハム」や「サラに目を注げ」とありますが、この夫婦も神から名前を新しくされ、祝福されました。この年老いた夫婦にイサクが与えられ、その子孫が星の数、砂浜の砂のように増えたのです。(創17章、22章) 神によって新しい名をもらうことは、神によって期待されて祝福されるということなのです。私たちも洗礼によって新しい名をもらいますが、それは神に祝福されキリストの十字架と復活に与って新しく生まれることなのです。
 イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる」、更に「あなたに天の国の鍵を授ける」とペトロに云われます。岩は堅く最良の土台ですから、彼の信仰告白を受けて、イエスの教会を引き継ぐ人物として、その屋台骨を支える土台としてペトロを選ばれたのです。
 私たちにも、同じ問いかけがなされます。「あなた方はわたしを何者だと思っているのか」と。それは言い換えれば「あなたはどう生きるのか」という問いです。どう答えるかは、私たち一人ひとりが主体的に判断することでしょう。日々の祈りの中で、生活の中で、その問いに答えなければなりません。
 この8月は戦後60年の節目です。平和という視点で考えてみましょう。イエスは、この地上で人々の平和のためにお働きになりました。イエスが与えようとなさった平和は、人間が日常生活で安穏で、お互いの信頼関係をしっかりもったより幸福な状態を意味しています。そのような平和がこの地上に実現した時、私たちの間からは、争いや不安がなくなります。現在の私たちを取り囲むこの世界には、戦争で苦しんでいる人びと、差別や偏見によって心の平和を奪われている人びと、経済的な理由で路頭に迷う人びとも多く、混乱と不安でいっぱいです。
 私たちは困難な状況にある人びとの「悲しみ」や「苦しみ」を共に分かち合うこと、少なくとも、そのような人たちの「訴え」に真剣に耳を傾ける人間でありたいとのぞみます。そういう積み重ねの中でイエスが与えてくださる平和が実現するのではないでしょうか。私たちが平和を希求し、イエスの働きに倣う生き方を追求して行こうとする時、イエスは「あなたは幸いだ」と答えてくださることでしょう。