2005年8月28日  聖霊降臨後第15主日 (A年)


司祭 ヨシュア 文屋善明

涙の預言者【エレミヤ書 15:15-21】

1.預言者エレミア
 エレミア書という預言書は非常に乱雑である。詩歌もあれば散文もあり、非常に個人的な伝記的な叙述もあれば、国家的政治的な発言もある。しかも、文体やその歴史的背景も乱雑で、とうていひとりの預言者の発言や伝記的な文書とは思われない、と言われる。専門的な学者がそう言うのであるかその通りだと思う。ところが、ただ一つの点でだけは一貫している。それは預言者が体制的な指導者と対立し、民衆からも迫害されているという点である。時には預言者の言葉は国民を励まし、国難を克服するようなときもある。そういう預言者は国民からも頼りにされ、指導者たちからも支持される。しかし、すべての預言者がそうであるとは限らない。時には、国民に対して厳しい預言を語らなければならないこともある。エレミアがその典型であった。しかし、それはエレミアだけではない。多くの有名無名の預言者たちがエレミアと同じような立場に立たされたことと思う。その時、常に彼らにとって預言者エレミアの言葉が思い起こされたに違いない。そして彼らはエレミアの生涯と重ね合わせて自分自身の境遇についても語ったに違いない。エレミア書とはそれらすべての「涙の預言者たち」の記録である、と思う。具体的な状況はそれぞれ違っても、その涙は同じである。

2.預言者の喜び
 涙の預言者の共通の慰め、喜びが16節に述べられている。「あなたの御言葉が見出されたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました」。これさえあれば、どんな困難にも立ち向かうことができる。ここでいう「あなたの御言葉」の内容が19節に述べられている。「どうしても、帰ってきたいなら帰ってきてもいいよ」。これが主が語られた第1の点である。まるで母親である。我慢できないような状況ならば、帰ってきてもいいよ。娘を嫁に出す父親のようである、と言い直してもいい。
 しかし、わたしがあなたを派遣した理由をよく考え、慎重に行動し、熟慮して語るならば、「わたしはあなたをわたしの口とする」。預言者にとってこれほど力強い言葉はない。「帰ってきてもいい」という優しい言葉よりも、もっともっとうれしい言葉であろう。20節の言葉はもっと強烈である。「この民に対して、わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする」。この言葉の中に預言者に対する神の信頼が込められている。どのような苦境の中であれ、これほど神から信頼されれば、「鬼に金棒」である。
 おそらく、この言葉はエレミア自身に帰するものと思われる。他の多くの涙の預言者たちひとりひとりに対してはその置かれた状況によって言葉の内容は異なっていたと思うが、常にエレミアに対するこの言葉はすべての涙の預言者を使命に立ち帰らせる支えになったことだろう。同時に、教会の時代になってからも、遠く故郷から離れて異国の地で宣教の業に従事したすべての宣教師たちをも励ましたことだろう。

3.主イエスの十字架
 それにもまして、この言葉は十字架への道を進む主イエスにとっても大きな励ましであっただろう。というよりも、主イエスこそこの涙の預言者の線上にあった。エレミヤの道は同時に主イエスの道でもあった。