2006年2月19日  顕現後第7主日 (B年)


執事 サムエル 奥 晋一郎

 数日前の朝、時間を確認する為にテレビをつけると、朝から晩まで様々な番組に出ている人気司会者の番組が映り、その司会者の言葉が心に残りました。人気司会者は、「日本の医療は遅れています。なぜならば欧米の国々と比べて、体の治療はするが、心の治療、心のケアの部分がまだ不十分だからだ、と入院していたときの主治医が言っていましたよ。」と言っていました。そしてその1日後に本日の福音書の箇所を読んだ時、その司会者の言っていたこと、心の治療、心の癒しは本日の福音書の箇所と関係があるのではではないか、と思いました。
 本日の福音書(マルコ2:1−12)は「中風の人をいやす」という箇所です。この箇所ではまず、4人の男が、イエスさまが滞在している場所まで、中風の人を運んで来ました。しかし、家の戸口の辺りまで大勢の人がいて、イエスさまのもとに連れて行くことができません。そこで4人の男は屋根をはがして、中風の人の床をつりおろしました。それを見た、イエスさま4人の中風の人のためにとりなし(神様の救いを求める)の信仰を見て、中風の人に罪の赦しを言います。しかし、そこにいた律法学者たちは、イエスさまに対して、「神様以外のものが罪を赦すことができるだろうか」、といいます。そこで、イエスさまは「『あなたの罪は赦される』というのと『起きて、床をかついで歩け』というのとどちらが易しいか。」と言い、イエスさまは神様の子として罪の赦しと病気の癒しの権威を持っていることを示します。そして、イエスさまが中風の人に「床をかついで家に帰りなさい。」というと男はすぐに床をかついで帰っていきました。
 この箇所からイエスさまは4人の男のとりなしの信仰から中風の罪を赦し、病を癒されたのでした。この罪の赦しと病の癒し、これは先週の重い皮膚病の人をいやす箇所と同様に、単なる病気の治療だけではなく、それ以上に人々による偏見、差別によって苦難の状態、心の病気の状態になっています。そのことからの開放のために4人の男が中風の人をイエスさまの前に連れて行ったのでした。
 わたしたちもそれぞれ程度の違いはあるにせよ、それぞれの状態、状況に応じて、体や心の病を持っていると思います。そのための赦し、癒しのためにも礼拝をおささげしているのだと思います。わたしたち一人ひとり、今日礼拝堂に集い礼拝ができるのは、4人の男が中風の人をとりなしたように、多くの方のとりなしがあったからこそだと思います。そして、多くの人のとりなしによって、礼拝ができるわたしたちも、4人の男のように、さまざまな状況において苦難の状態にある方々のために祈り、またそのような方が来られたら、温かく、もてなしの心で迎えることができればと思います。そして共に、神様の子であるイエスさまこそ、わたしたちのすべての罪をあがなって十字架の道を歩まれたことを覚え、歩んでいくことができればと思います。