2006年3月26日  大斎節第4主日 (B年)


司祭 エリシャ 富田正通

大切なものは見えないもの【ヨハネによる福音書6:4〜15】

 3月は、卒業の季節です。私の幼稚園の卒園式でのことです。
「みなさん、ここは何ですか」と頭を指差して言いました。
「あたま」と答えが返ってきます。
「頭で見えないもので、大切なものは?」。
「のう」との答え。
胸を指差して「ここで、見えないけれど、大切なものは?」。
「しんぞう」、「こころ」。
「そうね。心が悪い人のお腹は黒いんだって」。
「ゲッ、たいへんだ」と子どもたち。
「園長先生のお腹は何色?」と訊くと。
すかさず、年少の子が、「くろい」。
参列の保護者たちの爆笑になりましたが、私自身は見透かされたかとの思いがよぎりました。
「庭では梅の花がきれいに咲いているね。梅ノ木で一番大切なものは?」。
「み」が「はな」より多く、花より団子とはよく言ったものだと思いながらも、梅干って人気??
しばらくして、根っ子と言ってくれ、「そうね、根っ子が細いときれいな花がさかないし、風で倒れてしまうからね」。
「では、この礼拝堂で大切なものは?」
「やね」。
「屋根は、ここからは見えないね。雨や風を防いでくれるとっても大切なものですね。他には?」
「???」と子どもたち。
「みんなの足の下」。
「エッ、このじゅうたん?」と不思議そう。
子どもたちが驚くに十分な絨毯が敷き詰められていました。
「もっと下。家の土台。土台が悪いと家がいがんだり、倒れるから」。

 神様も目に見えない方ですし、目に見えないとき重要さがあふれています。
 私たちはともすれば、目に見えるもの、自分で確認できるものに頼り、見えないものをおろそかにしがちです。ビルディングを建てるときも、間取りや内装を重視して、見えないところをごまかす隙が生まれるのです。けれど、一番大切なところを間違うととんでもないことになってしまいます。耐震構造計算の偽装でマンションやホテルが使用禁止になってしまいました。
 今は、見えないものの大切さが見直されています。
 今日の福音書では、5千人もの人がイエス様からの恵みで食事を頂きました。わずかなパンと魚で多くの人を満腹させたということで人々は驚き、イエスを王様にしようとします。この時、イエス様は山に退いていかれました。
 私たちも、神様からの恵みにばかりに心を奪われ、神様のみ旨からそれた時、神様は退いていかれるのでしょう。