2006年4月9日  復活前主日 (B年)


司祭 エッサイ 矢萩新一

◆棕櫚の主日◆
 私達は復活日までの1週間、イエスのご受難を覚えて聖週を守ります。そのはじめの日である復活前主日は、イエスがエルサレムに入城され、様々な試練にあわれて十字架への道を歩まれたことを覚え、「棕櫚(しゅろ)の十字架の行進」をする伝統があります。これは、群集が葉のついた枝を切り出て道に敷き「ホサナ…」とイエス達と共に進んだという、マルコによる福音書11章1節以下に基づきます。私達もこの日、聖週の1週間を迎えるにあたり、棕櫚の十字架を携えて礼拝堂の入り口に集まり、中を回って行列をしたいと思います。

◆主の僕の苦難と死◆
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。…」
                                    (イザヤ:53:3〜、復活前主日旧約聖書U)
 
 イエスの十字架の死は、旧約聖書に預言されていました。そこには、はっきりと「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのため、打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」と記されています。この言葉通り、イエスの十字架の死は、私達の罪のためであり、神様の愛の成就でありました。
 しかし、ゲッセマネでイエスが祈っておられたとき、弟子達は眠りこけていました。イエスがユダの裏切りによって不当に逮捕されたとき、弟子達は皆逃げてしまいました。最高法院の役人達も群集も、「自分達を解放してくれる政治的な指導者」だとの期待を裏切られたと思い、十字架に架けることを願いました。ピラトはおかしいと感じながらも自己保身のために、もう一人の囚人であるバラバを釈放してしまいました。兵士達ははりつけられたイエスを前に、さんざん侮辱をしました。イエスが息を引き取られたとき、多くの婦人たちと共に、まっすぐな熱い視線をイエスに向けていたのは、百人隊長でありました。それまでは半信半疑であったけれど、イエスの最後の様子を見ていたから「本当にこの人は神の子だった」という言葉が出てきたのだと思います。
 イースターを1週間後に控えた私達は、今一度自分自身を振り返ってみたいと思います。イエスの願いを理解せずに眠りこけていないでしょうか。明らかにおかしいと思うことから逃げていないでしょうか。自分の期待にそぐわない人を軽蔑していないでしょうか。自己保身のために妥協したり、事実を歪曲したりしていないでしょうか。弱い立場にある人をさらに踏みつけにしていないでしょうか。誰かが犠牲になってしてくれたことに後から気付くことはないでしょうか。
 私自身を振り返ってみますと、すべてのことにあてはまります。人間である以上、皆さんも心にグサッと来ることがあるのではないでしょうか。だからこそ懺悔をしますし、祈りますし、毎年イエスの十字架の死と復活の出来事を繰り返し覚えているのです。そういう意味では、イエスを何度も十字架に貼り付けにしているのかも知れません。しかし必ず復活の喜びが与えられます。
 イエスがすべての人の罪を背負って壮絶な十字架上の死をとげようとしていた時、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。絶望的な叫びとも理解できますが、「わが神、なぜ…、しかしあなたのみ心のままに」とイエスは祈られたのだと思います。絶望の表現ではなく、神様の沈黙の背後にまだ見えない計画が必ずあると信じ、祈る言葉として捉えたいと思います。そして、イエスが息を引き取られると、真っ二つに裂けた神殿の垂れ幕は、全ての人々に神様との直接的な交わりを可能にする出来事、新しい契約の成就のしるしでありました。
 自分のことばかりが先行し、事が起こってしまってからしかなかなか気付くことの出来ない私達であるからこそ、婦人たちや百人隊長のように、十字架の出来事をイエスの方を向いて、そのそばに立つとき、神様の救いの業を見るのであります。
 復活日までの1週間、しっかりと十字架のイエスを見つめ、過ごしていきたいと思います。