2006年5月21日  復活後第6主日 (B年)


司祭 セオドラ 池本則子

他者への想像力を持ちましょう

 「互いに愛し合いなさい」。イエス様が私たちに命令された掟です。
 私たちは社会の中で暮らしています。人と人が助け合い、補い合い、支え合って共に社会生活を営むこと、それが、人間が幸せに生きていく道、神様が造られた天地創造における人間創造の根拠だと思います。そしてそこの前提にあるもの、なくてはならないもの、それが「互いに愛し合いなさい」ということではないでしょうか。
 今、日本も含めて世界での悲惨な状況はこの「互いに愛し合うこと」が欠けているために起こっているのではないかと思います。なぜ、「互いに愛し合うことができないのでしょうか」。確かに、最も愛が成り立つ関係にあるはずの親子や夫婦でさえも殺し合ったりします。それほど愛し合うというのは難しいことなのかもしれません。
 私は互いに愛し合うために必要なこと、それは他者に対する想像力だと思います。相手に対して想像力を働かせない、働かさないことが傷つけ合ったりたり、殺し合ったり、そしてついには戦争まで起こしてしまうことに繋がっていくのではないでしょうか。
 同じ命を持った尊い人間として神様の祝福の下に生まれ、神様から同じように愛されている人間。それを自分の、あるいは自分たちの利益や感情だけで簡単に殺したり、不安にさせたり、悲しい思いをさせたりして傷つける、このようなことは最もイエス様の愛に反する行為です。今でも軍隊の軍事演習では平気で人を殺すことができるように相手を人ではなく物として見るように訓練している、と聞きました。日本でもつい60数年前まではそうであったし、今また、自衛隊が武器を持って戦えるようになったらそのような訓練をきっとすることになるのでしょうね。それは、相手が自分と同じ肉体を持ち、人としての感情を持ち、かけがえのない命であること、そして相手の恐怖感や傷つけられた痛みを想像することを止めてしまうことを意味します。犠牲になる人の命の重みや、その家族の痛みに対する想像力を奪い取ってしまうのです。自分が反対の立場だったらどんなにつらいか、相手もそれと同じだということを想像できたら、もっともっと平和な世界になっていくのではないでしょうか。
 イエス様はこの世での活動の中で、言葉と行いによって私たちに愛を示してくださいました。そして、最後に一番大きな愛、私たちのためにご自分の命を献げてくださいました。さらに、「互いに愛するように」と私たちを任命されています。私たちはイエス様の命令通り、互いに愛し合いたいと思います。世界中で「互いに愛し合うこと」をしようとしない人たちの犠牲となっている人たちへの痛みに想像力を働かせたいと思います。そして、この現状を見過ごしにしないようにしたいと思います。私たちのために命まで捨ててくださったイエス様。私たちはそのイエス様の大きな愛に応え、身近な人から、さらには世界中の人々の、ことに苦しみの中にある人々に思いを馳せ、神様の憐れみを祈りたいと思います。そして、互いに愛し合う心を持って平和の道具として用いられていきたいと思います。