2006年9月10日  聖霊降臨後第14主日 (B年)


司祭 ダニエル 大塚 勝

 「耳が聞こえず話すことができない人」を癒してもらおうと、人びとが彼をイエス様のもとに連れてきました。この人も、また、彼を連れてきた人びともイエス様が彼を「癒してくださる」と信じていました。イエス様は彼らの信仰を見ぬいて、この人を癒されました。この御方ならきっと癒してくださるという彼らの絶対的な信頼をイエス様は見抜かれたのであります。
 イエス様は、「天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われ」ました。「深く息をつき」と訳されている言葉は、新約聖書では苦難を受けたゆえの「ため息」あるいは「うめき」を意味しています。苦しみの中にある人びとは、誰でも「その状態から早く解放されたい」と切に願います。だからこそ、イエス様は、耳が不自由で、言葉がしゃべれないこの人を、深く憐れんで、そして、そこからの解放を求めて、"深く息をついて、「エッファタ」"叫ばれたのであります。彼と同じ所に立って、その苦痛をご自分の身に引き受け、彼と共に、うめきの声を出されたのです。そして、彼は癒されました。
 この人は、信仰を持ってイエス様に「すべてをゆだね」ました。それは、自分の強さも、弱さも、その真実を正直に見せて、精一杯生きる、その後は、神様を信頼して、すべてをお任せするという生き方であります。
 私たちが、すべてを神様のみ前にさらけ出して、祈るときには、その祈りは、きっと神様に届くということであろうと信じます。この人は、癒され、そして、彼に与えられた言葉によって彼はイエスのみ業を語り、神を賛美したといいます。
 私たちも、私たちの耳や舌が開けて、イエス様のみ言葉がしっかり聞こえ、語ることができるように、祈り続けたいと思います。