2006年11月26日  降臨節前主日 (B年)


司祭 サムエル 門脇光禅

「わたしたちの王は、イエスさま」【ヨハネによる福音書18:33】

 本日は教会の暦では最後の日曜日で、来週からは新しい教会暦が始まります。今日のみ言葉は、イエスさまがご自身で人民を統治する政治的権力者とはまったく違った王の姿を示している箇所です。イエスさまの時代ユダヤの総督者であったピラトの前にてご自分は確かに王であるが神の国を統べ治める王と尋問の中で明らかにしてゆきます。この世の王とはかけ離れた王です。
 なぜならピラト総督の前に引き出されたイエスさまには誰も従おうとするものはいません。もちろん、強い軍隊など持ちません。たった一人、全く無抵抗のまま無実の罪を着せられ時の権力者たちに殺されてゆきます。
 しかしこの世の力によって敗北させられたかのように見えるイエスさまは、万物を治める真の王、勝利の王なのです。本日の旧約聖書(ダニエル書7:13以下)の預言者ダニエルはイエスさまが来られることによって永遠に滅びることのない神の支配が実現することを幻を通して告げています。
 また、使徒書(ヨハネ黙示録1:5以下)でも復活したわたしたちを罪から解放したイエス・キリストが地上の王の王として、世を裁くため再臨されることを宣言します。
 わたしたちは王であられるイエス・キリストの忠実な僕としてその王国を構成するものとなるのです。そこで当然なことですが、この世の支配に属さずイエスさまの支配下におかれるものはこの世の価値観によらず神の国の価値観に生きようとするのです。信仰と希望と愛に生きるわけです。
 ところがそのような生き方をするとき多くの困難が行く道を妨げてきます。
 この世の歴史の中で多くのキリスト者がその戦いの中で殉教して逝きました。それは、古代ローマの迫害時代だけでなく、第二次世界大戦中ドイツナチズム時代の収容所にて殺されたコルベ神父やボンフェッファー牧師、エルサルバドル圧制時代のロメロ神父などキリスト教信仰の立場から時の権力や悪に対して果敢に抵抗し尊い命を捧げて逝った信仰者はたんさんいます。
 わたしたちがイエスさまの教えに忠実に生きようとすれば、あるいは真理に従って行動しようとするとき、この世の権力の前に圧迫を受けたり、迫害が起こったりさまざまな苦しみを受けるかも知れません。
 でも、わたしたちの王は、罪と死と悪に打ち勝った真の王です。
 そしてすべてを裁くために来られます。キリストに従うものの勝利は確約されているのです。主に感謝します。