2007年2月4日  顕現後第5主日 (C年)


司祭 テモテ 宮嶋 眞

 何十年も前、まだ神学生の頃、教会の先輩と共に、滋賀県の安曇川で鮎とりをしたことがある。
 魚とり名人の先輩が、鮎のいる浅瀬にぱっと投網を打ち、広がった網を手繰り寄せると、鮎はほとんど入っていなかった。鮎は川底の石の間に隠れ、手繰り寄せる網の隙間からまんまと逃げてしまったのである。一計を案じた我々は、投げた網を手繰り寄せるのではなく、水面に広がった網の周りを何人かで押さえ込んで、入った鮎をにがさないようにして、徐々に網をめくりながら魚を捕らえた。そのようにしたら、鮎は面白いように獲れた。あとになって、名人の方は、ご自分ではほかにも取れる方法がいろいろあったのに、私たちのために、この方法を選んで、魚とりの面白さを味わわせてくださったのかなとふと思った。この聖書の箇所に出会ったとき、イエスさまも一人で人間をとる、宣教という仕事ができたのに、ぺテロたち人間を誘ってくださって、彼らができる方法で参加させてくださっているのではないかと思いました。
 一方でイエスさまの宣教は、人々のところを訪問し、特に社会から差別され隔離された人々、さげすまれている人々のところにわざわざ足を運び、一人ひとりに語りかけられ、彼らの上に手を置いて病気の癒しを祈られました。そのやり方は、とても丁寧で、おそらくとても手間もひまもかかるものだったのでしょう。この地上でのイエスさまの働きは時間的にも、空間的にも制約されていました。しかし助けて欲しい人はたくさんいたのですから、イエスさまはご自分の宣教の助け手として「弟子」を必要とされたのではないでしょうか。そしてそのために、私たちを誘ってくださっているのです。
 無学な漁師を選ばれたのは、イエスさまの働きには誰でも参加できたということでしょうか。いや、漁師は、漁をするためにチームを組んで仕事をしていたのですから、チーム「ペテロ」として選ばれたのかもしれない。リーダーのペテロが従ったので、チーム「ペテロ」の全員がそこに加わったのかも知れない。船上での毎日の仕事では、協力せざるを得ないのだから、チームワークも良かったのだろうと考えられるし、いざというときには、漁をして、食料を確保することもできたであろうし、ゲネサレ湖(=ガリラヤ湖)周辺の伝道活動においては、湖を船で横切って渡すこともできたから、旅行の際にも役立った。私には、イエスさまがペテロたちを選ばれたのは、とても積極的な理由があったように思われます。
 このイエスさまに従うという決心の直前に、ペテロたちは夜通し働いて、魚が全く獲れないという経験をしました。しかし、イエスさまの指示に従って網を下ろすと、網が破れそうになるほどの大漁になりました。このことは、イエスさまが、私たちの生活の現場にやってこられ、現状ではうまくいかないでいる私たちに対し、不思議な働きをなされ、み言葉を語り、イエスさまの働きに参加するように、私達を招いてくださるということだと思います。そこで、私たちのできる方法で参加しないかと呼びかけてくださっているのでしょう。
 私たちはペテロたちのように、喜んでそれに応えて、手弁当で参加するボランティアなのです。