2007年2月18日  大斎節前主日 (C年)


執事 サムエル 奥 晋一郎

   信仰、希望、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
                                     (コリントの信徒への手紙T第13章13節)

 「愛」といえば、一般的には、人間をはじめ動物といった生き物への思いやり、かわいがり、男女間の恋愛、強い欲望といったことを意味します。
 しかし、聖書における愛は上記のようなことではないことを、コリントの信徒への手紙Tの13章で伝えています。愛は最高の道であると著者のパウロは言っています。
 パウロ自身、最初はイエスさまとイエスさまを信じる人を迫害していました。ところが、ある日、迫害するための旅の途中で、天からの光が差し、イエスさまの呼びかけがあり、回心しました。イエスさまは迫害しているパウロを伝えるものとして遣わされ、パウロが回心する前の同じ考えの人達から迫害されるという苦しみも与えます。またパウロは一緒に伝道旅行をしていたバルナバと、意見が激しく衝突し、別々に旅行をするようになってしまうこともありました。
 パウロはそんな状況にあっても、どんなときも望みを捨てず、イエスさまによって伝える者として歩んだのでした。
 パウロは後の時代に執筆したフィリピの信徒への手紙2:6−7において、「キリストは神の身分でありながら、神と等しい身分であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で、現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」と書きました。
 これは、救い主キリストであるイエスさまがこの世に誕生し、十字架に架かることによって、神様の愛を実践されたことを伝えます。パウロがイエスさまのことを伝えて迫害され、失敗したことがあっても、なお神様の愛を信じて伝えたのでした。
 私たちは完全にすべての人を愛することは非常に難しいといってしまいがちです。しかし、その前に、神様はイエスさまをこの世に遣わし、十字架にかけたことによって、すべての人に愛を示してくださいました。またイエスさまはイエスさまご自身および信じる人々を迫害していたパウロを伝える者とされました。そして、パウロは苦しみが伴っても、望みを捨てず、信じることを続け、愛が最高の道であることを伝えたのでした。
 私たちは今おかれている立場、考えで苦しむことがあるかもしれません。どこにイエスさまの愛などあるのかと思うことがあるかもしれません。イエスさまを嫌うこともあるかもしれません。しかし、イエスさまはパウロという迫害していた人をお遣わしになりました。ですから、わたしたちははっきりと神さまの愛がわからなくても、いつの日か神さまの愛がはっきり知ることが出来る日まで、望みを捨てず、信じることを続け、愛が最高の道であることを信じて歩んでいきたいと思います。