2007年8月12日  聖霊降臨後第11主日 (C年)

 

司祭 マタイ 西川征士

『望郷と信仰』

 私たちは昔から「故郷」「ふる里」に因んだ美しい唱歌や民謡を一杯歌って育ってきました。故郷は誰にとっても懐かしいものであり、故郷があることは幸せなことです。
 私も。幼少期から生まれ育った八木の町(橿原市)、おじいちゃん・おばあちゃんの家(和歌山県田辺市)で過ごした夏休みの想い出は、きりが無いほど頭の中に懐かしく甦って来ます。先日兄夫婦と私達夫婦で母の故郷田辺と、父の故郷龍神を巡る事ができ、とても懐かしい楽しい2日間を過ごしました。田辺の実家の屋敷跡や、以前の田辺聖公会の跡も殆ど分からなくなっていたので、少し寂しい思いもしました。
 さて、イスラエル民族は昔から〈放浪の民〉でしたが、パレスチナ定住後も、バビロニア捕囚によって故郷を失いました。帰る家も故郷も無いのはどれほど辛いことだろうかと思います。彼らは60年間故郷を望みながら、苦しみに耐えました。
 「バビロンのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。」(詩137:1)

 イスラエルはペルシャ王のお陰でエルサレム帰還を果たす事ができました。しかし、度重なる他国よりの攻撃を受けましたし、ローマの支配時代になると、代々のローマ皇帝からの迫害を受けることになります。これらの理由で、非常に多くのイスラエル人は、地中海沿岸諸国(小アジア地方)に離散、移住を余儀なくされました。このような人々のことを「ディアスポラ」(離散の人々 散らされた者)と言われています。
 ディアスポラは当然、故郷から遠く離れてしまった人々ですから、彼らもいつも、強い望郷の念を抱いて生きていたと思われます。彼らの言葉がイスラエル人のへブル語ではなく、ギリシャ語になっていたことすら聖書は明らかにしています。
 しかし、イスラエル人はこういう経験を踏むことによって、段々と、人間というものはみんな「旅をするもの」「放浪するもの」であり、従って、真に追い求めるべき故郷は「天の故郷」だと考えて行ったようです。
 「もし、出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかも知れません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(ヘブライ人への手紙2:15〜16)

 人生に現実逃避は禁物でありますが、一面的には、人生は旅のようなものであり、人間は旅人のようなものである ということも受け入れるべきでしょう。
 この考え方に立つと、この世というものは「仮住まい」(ヘブライ人への手紙11:13)であるということも、うなずく事ができます。わたしたちはこの世では「寄留者」に過ぎません。「わたしたちの本国(国籍)は天にあります。」(フィリピの信徒への手紙3:20)何だか虚無的に聞こえるかもしれまんが、人間の死を含めて、人間の行きつく所は天のみ国でありますから、「天にある永遠の住み家」(コリントU5:1)〈天の都〉〈天のエルサレム〉を追い求めて生きるのは古人だけのことではなく、わたしたちもその信仰と幻(ヴィジョン)の中に生きているように思います。
 故郷に居られなくなった世界中の難民の問題は、現代の深刻な問題の一つになっていますが、それは世界的な協力で解決していかねばなりません。しかし、別の方向から考えますと、元々人間皆が〈難民〉なのです。ノアの洪水以来、世界中の人々がボートピープルなのです。みんなで主が備えてくださる「天の故郷」に向かって歩んで行きたいものです。「天の故郷」は、わたしたちが出て来た所であり、又、帰り着く所であります。
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
                                           (ヘブライ人への手紙11:1)