2007年10月14日  聖霊降臨後第20主日 (C年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

思い起こして感謝する【ルカによる福音書17:11−19】

 チャップリンの短編映画に「偽牧師」という作品がある。チャップリン扮する脱獄囚が、牧師に変装し逃げようとするが、間違って教会に赴任してしまい…という喜劇だ。最後、正体がばれてしまった脱獄囚は、保安官に連行される。しかし情け深い保安官は、彼をメキシコとの国境に連れて行き、逃がしてくれる。喜んで逃げようとするとき、メキシコ側でギャング同士の撃ち合いが始まる。ラストシーンは印象的だ。どちらにも行けない脱獄囚は、ビクビクとおびえながら、国境線をまたいだまま、どこまでも歩いてゆく。あちらにもこちらにもゆけない、人間の不安定さ、落ち着くところを探しながら、なかなか腰を落ち着けない人間の悲哀が描かれている。
 10人の重い皮膚病を患った者たちは、サマリアとガリラヤの間にいた。どちらの村にも入ることを許されない状態だった。これは地理的な問題だけでなく、魂の落ち着きどころがない状態を表している。彼らはイエス様によって癒されたことにより、安定した生活に戻れるはずだった。けれども、イエス様の元に戻り神様に感謝を捧げたのは一人だけだった。神様の救いは感謝をもって完結する。9人は、安定した生活に戻ったように見えて、まだ不安定な中を漂っている。
 ルツは自分の夫が亡くなったとき、故郷に戻れるはずだった。けれども彼女は姑と共に生きる道を選んだ。彼女は多分、姑から受けた深い愛情を思い起こしたのだろう。受けた愛情への感謝は、困難な生活をも乗り越える力となった。彼女は後にダビデの祖先となるのである。
 私たちは人々から支えられ、愛された事を思い起こして感謝する。感謝無くして魂の安定はない。何よりも感謝すべきは神様からの愛である。神様は私たちの存在そのものを愛してくださる。感謝無くして、私たちはどのように生きていけるだろうか。