2008年5月11日  聖霊降臨日 (A年)


司祭 ヨハネ 井田 泉

聖霊の降臨【使徒言行録2:1〜11】

 イエスが弟子たちと別れて地上から去られる時、弟子たちにこう言われました。「わたしはあなたがたに聖霊を送る」。
 そのことの意味と大切さを弟子たちはどれほど分かっていたでしょうか。けれどもイエスは、聖霊がどんなに弟子たちにとって必要であるかを知っておられました。聖霊がなければ、彼らは神を見失い、信仰を失い、生きる意味と力を失うでしょう。
 最後の晩餐においても、復活後40日して天に昇られるときも、イエスは弟子たちに聖霊の約束をし、それを求めて待つように言われました。

 イエスを信じて集まった人たち。それは世間から見れば、死刑となった犯罪人を信じる異様なグループでした。いつ迫害の手に襲われるか分かりません。肉の目でイエスを見ることができなくなったとき、恐れと不安は切なる祈りとなりました。彼らはイエスが言われた聖霊の約束にすがって、聖霊を求めて祈りました。

 イエスを天に送って10日後の日曜日、120人くらいの人たちが2階の部屋に一つになって祈っていました。
 突然、風が吹き、火が燃えました。
 風は部屋に吹き込み、人の顔を撫で、体に入り、心を動かしました。激しい風、しかしさわやかな風です。
 恐れは消えて神への信頼が生じ、平和が満ちました。葛藤していたもの、よどんだもの、濁ったものは吹き去られました。固くなっていたからだはほぐれて楽になり、命が通いました。心はあらゆるものから解き放たれて自由になりました。
 心が温かくなり、熱くなりました。イエスがここにおられることが見えるほどに分かり、イエスが自分たちを愛しておられることを、はっきりと心とからだに感じました。イエスのうちに燃えていることだけは知っていたあの情熱が、いまは自分たちのうちに燃えています。

 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」ヨハネ11:25‐26
 かつてマルタに言われた言葉は、いま、イエスを信じる人たちすべてのものとなりました。
 イエスが私たちの復活であり、イエスが私たちの命なのです。イエスが私たちの中に入ってこられ、私たちがイエスの命の中に入った以上は、死は私たちを支配することはできない。イエスが永遠に生きておられるから、私たちも永遠に生きるのです。

 この日、地上に神の国の実現を求めて祈り働くイエス・キリストの教会が生れました。
 最初の祈りの群れの中に起こった聖霊降臨の出来事が、私たちの間でも出来事となりますように。