2008年5月25日   聖霊降臨後第2主日 (A年)


司祭 サムエル 門脇光禅

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」

 何年かに一回健康的にドッキリとすることがあります。日頃忘れている健康への感謝を思い出さざるを得ない出来事が起こってしまうのです。
 どうも今年がそうみたいです。2月の末ごろのことどうも胸が痛く左手が肩から背中にかけて違和感としびれが時折起こってくるのです。「どうせまた神経痛だろう。風呂に入って寝れば治る」といつもの勝手な判断をしながら、「まあ、念のため明日病院で診て貰おうかな」と軽い気持ちで病院に行ったところそのまま入院してしまいました。
 不安定性狭心症との診断でした。「心筋梗塞一歩手前ですよ」と循環器科の先生が真剣な顔で言われ初めて「えっ、ほんとですか。帰れないのですか」とあわてる始末です。
 今までこんな会話を色々な病気で繰り返してきました。その度ごとに「神さまどうしたらいいのですか?何とかしてください?」と勝手なお祈りをして落ち込むのです。
 「安静にしてくださいね」優しい看護師さんの言葉も「ああまた天井の模様ばかり見るんだ」とどうしても素直な気持ちで受け止められません。
 薬物治療の後、心臓カテーテル検査の結果幸いすぐに手術しなければならない状態ではありませんでした。
 今回もまた考えさせられました。多くの学びをする機会が与えられました。
 心臓がちゃんとリズム正しく動いていることは本当にありがたいことなのにいつも当たり前のように受けているお恵みを軽く考えていました。
 「いまさらながら」なんですが、神さまの前に立たなければならないときのために価値ある人生を送っているはずなのにいつも最終目的を忘れた生活をしている自分をまた見つけてしまいました。
 「何を食べようか、何を飲もうか。何を着ようか。」いつも悩まなくてもいいことで明日のことを思い煩っている自分がいました。
 神さまは私たちに「あなたがたに必要なものはそんなに多くはない」といっておられます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」と言われます。
 主にまみえるときしっかりと価値あるものを携え立つことができるかが私たちの信仰だと思います。私たちの最終の目標は神の国と神の義を求めることと思います。
 それは神の支配、神のゆるしを通して神の義をあらわすことを求めることです。
 終わりのときに神の前に私たちはどうかということを求めていくことであり、そこにキリスト者として生きる意味があるように思うのです。