2008年8月10日   聖霊降臨後第13主日 (A年)


司祭 バルトロマイ 三浦恒久

わたしだ!【マタイによる福音書14:22〜33】

 イエスの弟子たちは、死の体験をしました。時は夕暮れ。舟は陸から五、六百メートル離れていました。夜の湖は不気味です。漆黒の闇が重く立ち込めてきます。風向きが怪しくなってきました。波も高くなってきました。弟子たちの舟は風と波に翻弄され、夜中、不安のどん底で呻吟しておりました。
 夜が明けるころになっても、風と波は止むことがありませんでした。弟子たちはある茫漠とした物体が湖面を動いているのに気づきました。実はそれがイエスでしたが、弟子たちは「幽霊だ」と思い、恐怖のあまり叫び声をあげました。イエスはすぐに声をかけて言われました、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と。
 ペトロは元気を取り戻して、水の上を歩いてイエスのところに行こうとしましたが、強い風に怖くなり沈みかけ、「主よ、助けてください」と叫びました。イエスはすぐ手を伸ばし、彼を捕まえて舟に乗り込みました。するとどうでしょう、風はピタリと止みました。
 このマタイによる福音書14:22〜33の話は、死の前では不安と狼狽のとりこになって、立ち往生上してしまう人間の現実と、その現実に介入してくださるイエスのパッション〈熱情〉について語っています。
 わたしの兄が二十数年前に、三十五歳で癌で亡くなりました。その前後、わたしは体調を崩してしまいました。牧師でありながら、情けないことに兄の死を受け入れることができず、体に変調をきたしたのです。めまいと脱力感、ふらつきなどが発作的に襲ってきました。
 「牧師でありながら、情けない」という脅迫観念が、更にわたしを苦しめました。体の変調は兄の死後数年間、断続的に続きました。そのような中で、わたしはマタイによる福音書14:22〜33から新しい光を与えられました。それがイエスのパッションです。イエスを見ながら「幽霊だ」と言って怯えた弟子たち。強い風が怖くなり、「主よ、助けてください」と叫んだペトロ。にもかかわらず彼らに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と話しかけられ、手を伸ばして捕まえてくださるイエス。情けない状態にもかかわらず、「わたしだ!」と声をかけてくださるイエス。わたしはこのようなイエスのパッションに気づかれた時、涙が出るほどうれしくなりました。こうして、わたしの体調は回復されました。
 「わたしだ!」と声をかけてくださるイエスのパッションに、心から感謝したいと思います。