2008年12月21日   降臨節第4主日 (B年)

 

司祭 バルナバ 小林 聡

神の王国 〜天幕と家〜【サムエル下 7:4、8−16】

 クリスマス直前の日曜日、教会の暦で降臨節第4主日に選ばれている旧約聖書では、ダビデ王の王国が永遠に揺るがないことが語られています。

 「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」サムエル記下7:16

 誕生するイエスがこのダビデ王の王座を受け継ぐと、ルカによる福音書で述べられています。

 「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」ルカ 1:32

 救い主イエスが、ダビデの王座を受け継ぐとの聖書の言葉の意味を、神の国という救いのヴィジョンに照らして思い巡らしてみたいと思います。
 ダビデ王の王座はエルサレム神殿に象徴されます。それは家でありました。外敵から身を守ることの出来る安心出来る住みかとしての家です。家はすべての人が保障されるべき安住の場所であります。しかし、神は神を住まわせるための家、つまり神殿の建設には注意深かったのです。それは人が神を支配してしまう危険性があるからに他ならなかったからです。ダビデ王朝は、ダビデ王朝存続がその主目的となってはいけないのです。

 次の聖句を心にとめましょう。
 「しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。『わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。』」サムエル記7:4−7

 天幕、それが聖書に登場する民のもっとも基本的な住処の形態でありました。移動型であるが故の不安定さはあります。しかし、神を閉じ込めてしまうという人間の側のエゴに注意深くなれました。
 聖書には天幕のイメージと家のイメージが混在します。
 神の思いが支配するという神の国が私たちの希望でありヴィジョンであるならば、神の国のことを私たちが神と共に憩うことの出来る神の家と呼んでもいいかもしれません。
 神の家には、天幕と家のイメージが含まれます。そこには決して狭い意味のダビデ王朝の王座というイメージはないのです。安心という意味の家、そして神の救いの豊かさをあらわす天幕が神の家のイメージなのです。
 イエス誕生の場面に目をとめてみましょう。

 「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」ルカ2:6、7

 クリスマスは神の家が家畜小屋であったことを告げています。野宿する者が訪れることの出来る場所、宿屋に泊まることの出来なかった者が救われた場所。神が約束なさった神の家は決して固定された宮殿ではなかったのです。それは外に放り出された人が安心出来る場所であり、そのような場所がこの地上に実現されるために、たえず開かれている避難所のような場所であったのです。
 クリスマスを直前に控え、今一度神が示しておられる神の家のヴィジョンについて共に思い巡らしてみましょう。