2009年3月22日   大斎節第4主日 (B年)

 

司祭 ダニエル 大塚 勝

 少年が提供した5個のパンと2匹の魚を、イエス様は感謝して皆に分け与えられました。このわずかな糧が5000人を満腹させる食事になったというお話しです。しかも、残ったパン屑は12の籠がいっぱいになるほどでした。これは4つの福音書のすべてに伝えられている奇跡物語です。
 そこには、空腹で、疲れ切って、今にも倒れそうな人たちがたくさんいました。直ぐにでも食べ物が必要でした。イエス様は、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と弟子たちに問いかけられます。フィリポは「めいめいが少しずつ食べるためにも、200デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答え、アンデレは「ここに大麦のパン5つと魚2匹とを持っている少年がいます。けれどもこんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」と云いました。当時、大麦は動物の餌でしたから、大麦でつくったパンは、最も貧しい食べ物でした。魚も塩漬けの小さな魚であったのでしょう。
イエス様の質問に対するこの2人の返答はいずれも「こんなに多くの人を食べさせるのは無理です」という意味で悲観的に答えています。今、彼らがおかれている状況から考えると、5000人もの人びとを食べさせるのは「無理だ」というのは、常識的な結論だと言えます。このように常識的に考えて、否定的に物事をとらえることは私たちにもよくあります。
 しかし、イエス様は、今ここに、現実に“あるだけのもの”によって大勢の人々を養われました。それでも、なお多くの余りが出ました。少年は、彼が持っている「わずかな」「貧しい」食物を皆で分かち合うために差し出したのです。イエス様は、それを受け入れられました。少年は神様から与えられている賜物によって多くの人々の飢えを救ったのです。
 神様は、私たちが差し出す物はわずかな物であろうと、それを使ってくださる。むしろ、私たちが差し出すささやかな物を、神様は必要としておられるのです。
 神様は、私たち一人ひとりに与えられているタラントンを使ってくださいます。神様は私たちをも使って、そのご意志を実現しようとなさいます。それは私たちが神のお働きに仕えることであります。