2009年6月7日  三位一体主日・聖霊降臨後第1主日 (B年)


司祭 セオドラ 池本則子

「神の国」を見るための新たな生き方

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネによる福音書3:3)

 「神の国」。それは、神様が支配される、不正も不義もない喜びに満ち溢れた平和な場所と空間。クリスチャンであるならば誰もが望む「神の国」。クリスチャンでなくても「神様が支配される」ということを横に置けば、誰もが望む世界だろう。しかし、現実は不正と不義にまみれ、戦争が、争いが後を絶たない。
 「憲法9条改正賛成でも戦争を望む人などいない」という声を聞く。ではなぜ、現に戦争が起きているのか。軍隊があれば、兵器を持てば、そこに人を傷つけ殺す、という出来事が必ず起きる。
 「神の国」は軍隊も兵器も必要ない。なぜなら「神の国」は傷つけ合い、殺し合う必要がないからだ。しかし、「神の国」に至っていないこの世界はどうも軍隊や兵器を必要としているようだ。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。今のままでは「神の国」を見ることはできない。「神の国」を見るためには新たに生まれなければならない。

 ニコデモは「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と愚問した。肉としてもう一度生まれ変わったとしても同じである。肉としての生まれ変わりではなく、生き方を変えるということである。「水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。クリスチャンは水によって洗礼を受け、神の子として生まれ変わった。霊の働きによって神様とともに生きる者として生まれ変わった。父と子と聖霊なる三位一体の神によって新たな命を与えられた。

 天地を創造された父なる神様がその独り子をこの世に遣わし、そのイエス様を通して「神の国」が示された。イエス様によって始められた「神の国」。イエス様の十字架は「神の国」を実現するためであった。この世の不正義をなくし、すべての人が喜びに満ち溢れて平和のうちに過ごすためには、イエス様に倣う生き方ができる者に生まれ変わらなければならない。しかし、この世にはさまざまな誘惑がある。人間の力では難しい。そこで霊の働きを必要とする。霊は風のように目に見えず、どこから来てどこへ行くかわからない。しかし、風を感じるように、霊も感じることができる。霊の働きがあるからこそ私たちは信仰を持つことができる。それは理屈ではない。

 聖霊が私たちを新たに生まれさせ、力を与えてくださるように。父と子と聖霊の三位一体の神様が私たちと共にいて「神の国」を見させてくださいますように。

 世界中のすべての人の命と生活と安全が守られ、罪も悪もない喜びに満ち溢れた平和な「神の国」を見たい。そのために霊によって常に新たにされ、イエス様と共に歩める私でいたいと思う。