2009年6月14日  聖霊降臨後第2主日 (B年)


司祭 サムエル 門脇光禅

「からし種のように」【マルコによる福音書4:26−34】

 「からし種」を本当に見たことがあります。何十年も前神学生の頃だったですが、本当に小さかったのを覚えています。「ごまつぶ」よりまだ小さいものでした。当時のユダヤの人たちも小さいものの象徴として知られていたようです。「からし種のような信仰」というときには「信仰を持ち得る最も小さい量」を意味していたようです。その小さな種が「小鳥が巣を作るほどの木」のように大きくなるのだから驚くべき成長です。
 また、旧約聖書における大国に関する記述に木として描くことがよくあります。そのような大国に従属する国々は木の枝に巣を作る小鳥のようであると書かれています。
 さて、このたとえに私たちは何を見るでしょう。それは「小さな始まりに気落ちしてはならない」ということです。瞬間的にみると得るものがほんの僅かしかないように見えるかも知れないものでも小さな効果が重なると大きな結果を生み出すものということです。物事を始めるに初めは小さくても大きな結果を信じて始めることこそ大切と思われます。
 もう一つ、このたとえは私たちに語りかけています。教会についてです。
 木や鳥が大国とその中で生きる諸国民をあらわしたように教会も個々人で、はじまっています。教会はあらゆる意見や神学が個々人の立場を見出し得るところです。
 ところが気をつけなければならないのは、自分たちと意見の違う人を異端視してしまうことです。自分が正しいと確信を持つことは決して悪いことではないけれどそれは他の意見が間違っているということではないことを知ることが大切と思うのです。
 そして、教会はすべてのあらゆる人々が出会うところということです。
 ユダヤ人だけのために建てられた教会ではありませんでした。はじめの教会はとてもちいさな群れでした。そのからし種のように小さかった教会が世界中のすべての人々のためにその場所を求めていきました。
 日本聖公会宣教150周年を迎えた私たちの教会が今後も「からし種」のような成長をとげて多くの人々がそこに「宿りを得る」ように祈りたいと思います。