2009年9月6日  聖霊降臨後第14主日 (B年)


司祭 テモテ 宮嶋 眞

「エッファタ!」【マルコによる福音書7章31〜37節】

 本日の聖書の箇所を読むと「エッファタ」(「開け」の意味)という言葉がとても印象に残ります。
 イエスが実際に話された原語のまま記録されている言葉は、福音書の中にわずかしかありません。それだけ弟子たちにとっても印象に残った言葉だったのでしょう。それは、耳が聞こえず、舌の回らない人を癒されるときに、イエスが言った言葉として記録されています。耳が聞こえない人をイエスの前に連れてきた人々は、その人の上にイエスが手を置いてくださるようにと願いました。これは、日本語でも「手当て」という言葉があるように、病気の癒しには欠かせない動作だったでしょう。しかし、ここではイエスはそのようにはせず、深く息をつき、「エッファタ」と言葉をかけました。
 イエスが、目の前にいる人の苦しみに深く共感して、その人のうめきを聴き取ったときに、深く息をついたのです。苦しむ人の苦しみを、うめきを聴き取ることから癒しの業は始まります。そして、イエスは「エッファタ」と声をかけ、ただちに癒されました。
 癒しの物語はそれで終わりですが、この「エッファタ」という言葉は、イエスが聞こえない人を癒すための言葉でした。しかし、その場にいあわせた人にとっては、イエスから自分自身に向かって発せられた言葉のように受け取られたのだと思います。「わたしは、本当に苦しむ人のうめきの声を聴き取ろうとしたのか? それができるためには、身も心も開かなければできないのではないか。でも、それはむずかしいな、、、」 イエス:「エッファッタ!」
 現代は、イエスの時代と同じように、苦しみ、悩む人が社会から疎外されている状況があります。そんな中で、わたしたちは、イエスが望まれたように、身も心も開いて、苦しみ悩む人のうめきの声を聴いていくように求められています。それは大変困難に思えることですが、そんなわたしたちにも、当時と同じように、イエスは「エッファタ!」と声をかけ、招いてくださっているように思います。