2009年12月27日  降誕後第1主日 (C年)


司祭 サムエル 小林宏治

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」 ヨハネによる福音書第1章1節から18節

 ある本の中に、おもしろいお話が載っていたので、ここに紹介したいと思います。
 少し、言葉を代えて、下記に記します。
 ある梅雨のころ、少しばかりの晴れまを利用して、ある親子が、洗濯物を干しに庭に出ました。お母さんは、娘に、お洗濯物が乾くまで雨が降りませんように、神さまにお祈りしようと声を掛け、いっしょにお祈りをしました。二人で一生懸命祈り始めた途端、ポツリポツリと雨が降ってきました。お母さんが「ああ、どうしよう」と思ったとき、娘は、「あ、お百姓さんが先に雨をお願いしたみたい」と、うれしそうに言いました。そして、お母さんはホッとして胸をなでおろしました。
 わたしたちが、経験する日常をユーモアたっぷりに示してくれています。こどもの柔軟な発想に、その場がうまく救われました。わたしたちの生活にも似たことは多いのではないでしょうか。
 先日黙想会に行ったときに、知ったお話です。今回の黙想会のテーマはアドベント、副題として「ゆだねる」でした。アドベントの時期にふさわしい会でした。クリスマスまでのアドベントにおいて、自分を振り返ることはとても大切です。日常の生活の中ではなかなか実現できないのが、この振り返り、悔い改めです。
 「ゆだねる」という言葉にも、いろいろの意味合いがあると思いますが、わたしは、積極的というか、能動的な、神さまへ「ゆだねる」ことを教えられました。
 わたしたちは、この世界の中で、もだえ苦しんでいます。いろいろな壁にぶち当たり、どうすることもできずにいます。そんな中で、祈りにおいて、神様の恵みを絶えず求めています。神様に出会うことで、苦しみに打ち勝つすべをえられると信じているからです。「ゆだねる」ことでしか乗り越えることができないからです。自分の力だけでは困難だからです。
 わたしたちの目ではみることができない神様を、イエス様は示してくださいました。そして、かみさまに「ゆだねる」ことを教えてくださいました。それは時として、自分の願いとかけ離れた結果を示されることもあります。けれども、神さまに「ゆだねる」、イエス様に倣う生き方のうちに大切なことをわたしたちは知らされるのです。