2010年1月31日  顕現後第4主日 (C年)


執事 アンナ 三木メイ

「その口から出る恵み深い言葉」【ルカによる福音書第4章21−32節】

 イエスは、ガリラヤ地方のナザレという町の出身の青年でした。ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、聖霊に導かれて荒れ野で40日間修行しました。彼は、神から与えられた自分の使命をはっきりと確信します。そして再びガリラヤに戻り、諸会堂で神の救いを説き始めました。ルカによる福音書は、それを「“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた」と語ります。その時イエスは、もはやナザレで生活していた頃の「ヨセフの子」ではなく、「神の子」としての新たな生涯を歩み始めたのです。イエスは、預言書に記された神の救いの時、待望していた解放の時が今やって来たのだ、と人々に告げ知らせます。その言葉は、苦しみと抑圧のなかにあった人々にとっては、希望に満ちた「恵み深い言葉」だったはずです。しかし、ナザレの人々は彼の言葉に驚き、この「ヨセフの子」に疑念を持ち、反感を抱きました。旧約の預言者たちがイスラエルの民からは歓迎されず、神の救いのわざを異邦人に行ったように・・・。イエスは、町から追い出され、突き落とされそうになりながら、故郷の地を去るのです。そして他の町で福音を宣べ伝えます。
 私たちは、日々の生活のなかで、さまざまな経験を通して既成概念というものを無意識的に造り上げています。あの人はこういう人だ。これはこう考えるべきなのだ、教会とはこういうものだ云々。何か新しい考えが登場してきたら、それを自分の既成概念のどこかにうまくはめ込むことでようやく安心するという側面が、人間にはあるのではないでしょうか。逆に、既成概念にはめ込むことのできないような新たな考えには何となく恐れを感じ、拒絶したくなります。幕末の時代に既成概念をうちやぶった青年として、最近人気の坂本龍馬。藩という垣根を越えて手を結ばせ、新しい日本を生み出す機運を作りました。しかし、当時は彼の新しい発想に驚きと恐れを感じた人々も多かったはずです。
 主イエスは、ユダヤ社会で常識となっていた「神の救い」についての既成概念を打ち破るような福音を告げ知らせました。それは、人種と民族の壁を越え、差別をもたらす境界線を越える、神の愛の福音でした。その口から「恵み深い言葉」を語らせたのは神の霊であったのに、「ヨセフの子ではないか」という既成概念と常識的な「神の救い」理解が人々の心を頑なにして、恵みの言葉を聞けなくしてしまいました。
 私たちがキリストの福音に耳を傾ける時はどうでしょうか。自分の既成概念に邪魔されていないでしょうか。霊の力によって心が開かれてこそ、主イエスの御言葉が真実に「恵み深い言葉」となることを心にとめましょう。