2010年3月21日  大斎節第5主日 (C年)


司祭 マーク シュタール

 大斎節はChristian Calendarで、一番聖なる季節だと思います。降臨節や顕現節や復活節には、私達は一歩離れて、イエス・キリストの物語を見ます。イエス・キリストにフォーカスして、私達は 「キリストのように」ということをよく考えます。でも、大斎節は、一人一人がイエス・キリストとともに苦しみを受ける季節ですから、私達は一歩離れてではなく、イエスと結ばれて過ごします。
 だから、今日は一人の僕が苦しみを受ける話を説明したいと思います。
 そして、大斎節の聖餐式で使う特別な祈り、「皆さんがますます清くなり、己を捨て、十字架をおって、主に従うことが出来ますように」を考えたいと思います。このお祈りから、私はある僕の苦しみや悩みが見えてきました。今日の旧約聖書(イザヤ43:16〜21)、使徒書(フィリピの信徒への手紙3:8〜14)、詩編(詩編126)を見て、そして、この僕の話をしたいと思います。
 まず、福音書(ルカによる福音書20:9〜19)の中で、よく知られたぶどう園の話が出て来ます。ぶどう園の息子が雇われた農夫に殺される話です。これは、神様と神の子、それにぶどうの枝に連なる私達との関係を象徴しています。農夫たちはここでは、ぶどう園の世話を任されている悪人になっています。息子が差し向けられる前に、3人の僕がぶどう園に向かいます。ぶどう園の収穫を集めるためですが、いずれも農夫たちに袋だたきにあいます。今日の僕も神様から収穫を得るために現れ、それを後の世代に引き継ぐつもりでした。その僕は優秀であると同時にひどく悩んでいました。そして、結果は、ぶどう園に収穫を得るために行ったのに、悩みに打ちのめされて帰ってきます。
 つぎに、今日の旧約聖書を見ましょう。イザヤ書で、神様は新しい時代を説明します。新しい時代には律法や規則が全く関係ありません。これからは一人一人が神様と出会うことが一番大切です。神様は18節で言われます。「始めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことを私は行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか?」。全く同じように、ある僕も、以前の世を捨てて、新しい主義を始めました。この人は「自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、知っている」 と思いました。彼の新しい主義をもう少し後で説明します。
 今日の詩編も、このあとで説明する僕と関係があります。詩編126編、2,5,6節にはこう書いてあります。
 「そのときには、わたしたちの口に笑いが舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう「主はこの人々に大きな業を成し遂げられた」と。涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は束ねた穂を背負い喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
 あとで説明する僕も、たくさん涙を流しました。そして、喜びの歌をたくさん刈り入れました。この僕も何回も泣きながら出て行き、喜びの歌を歌いながら帰ってきました。さて、誰でしょうか?
 第三のヒントは使徒書からです。フィリピの信徒への手紙で、パウロはキリストを信じるとは何かを書いています。特に「キリストのゆえに、私は全てを失いましたが」と書いています。また、「兄弟たち、わたし自身は既に捕られたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身をむけつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」。今日の謎の僕も同じ考えを持っていました。彼は小さい時から全てを失いましたが、いつも前のものに全身を向けました。
 さて、この有名な僕は誰でしょうか?福音書では、この僕は優秀であると同時にひどく悩んでいました。そして、結果は、ぶどう園に収穫を得るために行ったのに、悩みに打ちのめされて帰ってくる。イザヤ書と同じように,神様と新しい時代を作った人です。詩編と同じ、喜びの歌と深い関係があります。そして、パウロと同じように「全てを失い、前のものに全身を向けました」。もう一つのヒントです。今月27日でちょうど亡くなり183年立ちます。3月27日1827年でした。この人はLudwig van Beethoven (ルドヴィグ ・ファン・ベートーベン )です。
 ベートーベンは今日のイザヤ書のように、その時代の音楽“popular music”より、本物のヨーロッパの文化を表したかったのです。また、ベートーベンは詩編のように、有名な喜びの歌をいっぱい作りました。ベートーベンの作品全体は、同じ時代の音楽と比べ、割と短いです。でも、彼の作品はすべて上品です。彼は自分の音楽の世界について「自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか知っている」と言った唯一の人です。ベートーベンの音楽は世界中の音楽だけでなく、文学、教育、絵画、哲学、全ての芸術そして文化にすばらしい影響を与えました。ベートーベンは新しい主義の発明者になりました。その主義は“Romanticism”浪漫主義です。
 先程、ベートーベンの苦しみや悩みが見えて来ましたと言いましたが、それはイエスの復活と少し関係があります。ベートーベンのまだ生きている部分は髪の毛です。1800代の前半は写真がまだない時でした。その時のヨーロッパ人は記念に石膏で “death mask” (死顔面,最後の顔の印象を残すため)を作って、そして、死体から髪の毛を切って保存しました。ベートーベンの時も亡くなってから、たくさんの人が髪の毛を切りました。ベートーベンの記念に切った髪の毛は全て紛失したと思われていましたが、一つの髪の房が15年前に突然競売(auction)にかけられました。買った二人はベートーベンのものをいっぱいcollectしたけど、これははじめてベートーベンの作品や楽器以外に買ったものでした。この二人は新しい化学の研究(例えばDNA)があると知っていたので、ベートーベンの髪の毛はただの記念ではなかったし、鑑定に出しました。その結果はすごく驚くべきもの。
 ベートーベンはパウロが全てを失ったように、小さい時から病気がちでした。20歳以降は特に調子が悪く、よくご存知と思いますけど,ベートーベンはだんだん気が短くなりました。そして耳が聞こえなくなり、35歳ごろから耳がほぼ100%聞こえなくなりました。そして、晩年の20年間は内蔵がよくなかった。
 亡くなってから、いろいろな学者がベートーベンのことを熟考しました:ある人はベートーベンにはある珍しい病気があったと言い、他の学者はベートーベンが梅毒だったと言いました。でも、やっと、ベートーベンの髪の毛を分析することが出来、彼のことがもっとはっきり分かりました。
 最初の研究は天才についての研究でした。結果は他の天才の人とは違いました。結局、彼は普通の人と同じでした。珍しい病気も梅毒もなかった。アヘンもなかった。ベートーベンはすごく長い間痛みがあったと知られていたので、髪の毛にアヘンがなかったというのは驚きでした。ベートーベンの時代の鎮痛剤はほとんどアヘンでした。という意味は、ベートーベンは鎮痛剤を断ったということです。鎮痛剤をすべて断ったのは、パウロが全てを失ったのと同じではないでしょうか?
 一番驚くべきことはベートーベンの体には非常にたくさんの「鉛」があったことでした。鉛中毒がある人は苦しんで、気が短くなり、すぐいらだち、腹がよく調子悪くなり,そして,耳がだんだん聞こえなくなるのです。
 ベートーベンは自分が鉛中毒とは知りませんでした。ベートーベンの医者も知りませんでした。原因は今もわからないけれど、ワイン,またはそのワインの瓶かも知れません。でも、すごく苦しみ,悩み,鎮痛剤を断って、一番奇麗,一番inspirational(インスピレーショナル)、一番感動的な音楽を作った。彼は自分の安楽を捨てて、そして自分の悩みを負うて、私達のためにすごく奇麗な音楽を与えてくれました。だから、ベートーベンは私達のすごく大切な誇るべき先祖です。
 皆様、つぎにベートーベンの作品を聞く時に、彼が全てを失ったこと、私達のために喜びの歌を書いたこと、音楽の新しい主義を作ったことを覚えて下さい。そして,この僕が己をすて、自分の悩みを負って,私達の心を照らすために奇麗な音楽を作ったことをもっと深く感謝しましょう。
 主に感謝