2010年4月11日  復活節第2主日 (C年)


司祭 ヨシュア 柳原義之

あの「週の初めの日」の翌日から

 イースターおめでとうございます。多くの教会では先主日に主のご復活をお祝いされたことでしょう。私が定住する教会でも復活日の聖餐にあずかり、持寄りの食事で楽しく過ごしました。しかし、管理する教会ではまだイースター礼拝をしていないので、私の中では復活節に入りホッとした気持ちと聖土曜日のままの緊張している二人の自分が存在しています。また、翌日からは2つの幼稚園の新年度の打ち合わせなども始まり、超非日常的な十字架の出来事とご復活の出来事の後に、一気に日常に戻されるという現実の中に生きています。ただ、多くの信徒さんも同様のことが起きているのだと思います。
 さて、復活後月曜から土曜までの福音書を読んでいると、イエスとの最後の1週間、ことに緊張に満ちた3日間を過ごした弟子達とその周辺にいた人たちが、絶望と空虚な気持ちの中でイエスの復活に出会い、もしくはその報告を聞いて混乱している様子が伺えます。
 金でその目撃者を操る者、悲しみの中で懐かしい声に出会い復活を確信する女性、心の中で消えかけていた火を、パンをさく姿の中にイエスを見つけ再び燃え立たせる者・・・。様々な人々の姿が描かれているのはそれだけ人々の受けとめ方が違っていたということなのでしょう。しかし、イエスに一番近かった弟子たちが誰よりもご復活という現実を受けとめられなったことは興味深いことだと思います。
 あの「週の初めの日」に始まった出来事は2000年の時を越えて今も世界のあちこちで起きています。人生に突然与えられた思いがけない試練の中に復活を主を見出すものもいれば、教会に長い年数、毎週欠かさず通っていてもご復活の主に出会ったこともない人がいます。また、あの時と同じように主の復活などない、と否定する人たちもいます。
 しかし、そんな私達のそばで、時空を超えて働き続けておられるイエスの姿があります。何気ない日常の連続の中で、もしかするとイエスに出会う超日常が与えられているかもしれません。聖霊のお導きがなければ私達の目も心も開かれません。
 私の緊張はもうしばらく続き、そしてまた一年をかけて教会と施設と家族の日常の出来事が続くのですが、祈りながらご復活の主との出会いに五感を用いていたいと思います。
 あなたの人生も、あの「週の初めの日の」翌日から始まっています。