2010年5月16日  復活節第7主日(昇天後主日) (C年)


司祭 ミカエル 藤原健久

少し離れて眺めてみれば【ヨハネによる福音書17:20−26】

 イエス様は弟子たちの中で、弟子たちと共に祈られた。「彼らを一つにしてください。」これは言い換えれば、弟子たちが一つになっていない、と言うことではないだろうか。
 「一致」には、「和解」が必要だ。互いへの信頼と助け合い、愛情が必要だ。イエス様の祈りは、弟子たちが、自分で思っているよりも、信頼や愛情が欠けているという、悲しい現実を明らかにしたのではないか。
 私達は日常生活に埋没すると、自分の目の届く範囲しか見渡せなくなり、大切な現実を見落としてしまうことがある。そんなときには、視点を変えることが必要だ。特に今日は「昇天後主日」、イエス様が天の上から私達を見てくださっていることを、私達は覚える。視点を天に挙げると、いろいろなものが見えてくるかも知れない。たとえば、側にいる苦しむ人、寂しい街、貧しい国。これらは決して私達から遠い存在ではない。けれども私達はいつも見落としている。私達の現実は、自分が思っているほど「一つ」じゃない。もっと助け合い、支え合いが必要だ。天上のイエス様からの視点が必要だ。
 天上から眺めてみるとき、反対の現実も見えてこないだろうか。私たちはよく、人との「違い」を見つけて、それを強調する。けれども天から見るときには、「違い」よりも、「同じ」人間ということの方が大切に見えるのかも知れない。聖霊は、「言葉の違い」という、人間にとって大きな壁を、「神様に愛されている同じ人間」として、乗り越えた。
 イエス様は十字架に掛けられたとき、少し高い視点から人間を見つめられた。そこで見たのは、人間は全て「同じ」罪人だという、厳しい現実だったのではないか。槍で刺した兵士も、裏切る弟子も、無関心の人々も、同じ罪人、「違い」はない。イエス様は、全ての人が、一人残らず、復活の命によって救われるのを望まれたのではないか。