2010年6月20日  聖霊降臨後第4主日 (C年)


司祭 サムエル 小林宏治

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」【ルカによる福音書第9章18節から24節】
 この個所は、聖書の小見出しでは「ペトロ、信仰を言い表す」、「イエス、死と復活を予告する」となっています。ある日、イエス様がひとり祈っておられたとき、弟子たちは共にいました。そこでイエス様は、弟子たちに、群集は自分のことを何者といっているのかと尋ねられました。弟子たちは、「洗礼者ヨハネ」、「エリヤ」、「だれか昔の預言者が生き返った」と言っていると答えました。そこで、イエス様は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と言われました。ペトロは「神からのメシアです」と答えました。イエス様はその答えに、弟子たちを戒め、このことを誰にも話さないように命じられました。そして、次のように、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と言われました。続けて、上記の言葉を言われたのでした。
 イエス様がこのようなことを弟子たちに言われたのはどうしてなのでしょうか。そのヒントが、イエス様の語られた言葉に示されています。
 ペトロが言った「神からのメシア」という言葉を、イエス様は誰にも言わないようにと命じられました。また、イエス様は人の子が排斥され、死に渡されると言われました。人々に救いをもたらせる者であるメシアという言葉の意味が、イエス様と、その他の人たちでは異なっていたのです。苦しみにあえぐ群集にとって、メシアとは、政治的な、権力を持った者であり、力を背景にした救いをもたらせる者を意味していました。けれども、イエス様は、権力者から排斥され、殺される者であり、弱さのうちに救いを示そうとされました。
 イエス様の生き方は、十字架への道ともいえます。わたしたちは、決して強いものではありません。弱いものとしては、力強いイエス様、指導者としてのイエス様を期待してしまいます。この世のあり方では、弱いものは生きていけません。力の持つものがこの世で生きていくすべを持っているのです。この世では、勝つこと、上にあがること、それが求められています。しかし、イエス様は、「自分を捨てよ」といわれます。自分に頼る生き方、自分の能力に頼る生き方ではなく、ただイエス様に倣う生き方を求められ、「わたしに従いなさい」といわれるのです。