2010年10月17日  聖霊降臨後第21主日 (C年)


司祭 ヨハネ 井田 泉

神の顔を見たヤコブ【創世記32:4‐9、23‐31】

 ヤコブは、ヤボクの渡しを前にして恐怖に呑み込まれて進むことができませんでした。兄エサウに会うのがこわいのです。
 20年前、ヤコブは兄エサウをだまして長子の権利を獲得しました。エサウの怒りはすさまじく、身に危険を感じたヤコブは母リベカの勧めに従って逃亡し、伯父のラバンのもとで長く過し、いま20年ぶりに故郷に帰ってきたのです。
 すでにエサウには三度にわたって莫大な贈り物を届けました。家族、僕たち、家畜などはもうヤボク川の向こう岸に渡らせました。しかしヤコブはひとり後に残っていました。

 兄エサウの怒りと殺意が迫ってくるように感じ、また自分がかつて兄に対してしたことについての重い葛藤があって、川を渡ることができないのです。暗闇の中で苦しみに耐えかねてヤコブは祈りました。

 「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。」【創世記32:10‐12】

 神にすがりついてヤコブは祈りました。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘しました。その何者かとは神の御使い、否、神ご自身です。ヤコブは神と格闘して祈り、祝福を求め、ついに祝福を受けました。

 聖書にはこう記されています。
 「ヤコブは、『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」【創世記32:31】

 普通は見ることを許されない神の顔を、ヤコブは見たというのです。ヤコブの見た神の顔はどのような顔だったのでしょうか。
 求め訴える者に対応し格闘する真剣な顔
 切を赦し、祝福する温かい顔
 新しい歩みへと促す希望の顔
 ──だったのではないでしょうか。

 ヤコブはこれによってヤボクの渡しを渡り、兄エサウと再会します。ヤコブは兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏しました。エサウは走ってきてヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口づけし、共に泣きました。そのときヤコブには、エサウの顔は神の顔のように見えたといいます。

 ヤコブは神との格闘に果てに、神から赦しと祝福を受け、謙遜な者に変えられ、前に向かって進む勇気を得たのでした。

 イエス・キリストはわたしたちが神の祝福を受けることを願われました。そのゆえに受難の前、ゲッセマネでわたしたちのために神と格闘してくださいました。わたしたちもイエス・キリストをとおして、ヤコブの見た神の顔を仰ぐことができますように。