2011年4月10日   大斎節第5主日(A年)


司祭 セオドラ 池本則子

イエス様も涙を流されている

 3月11日以降、日本中でどれだけの涙が流されてきたでしょうか。被災地ではもちろんのこと、離れた地域に住んでいる人々もテレビや新聞などで報道されている被災地の状況や被災者の声を見聞きするたびに、心を痛め、多くの涙を流してきたことでしょう。

 ヨハネによる福音書第11章には、イエス様が涙を流された出来事が記されています。イエス様が愛しておられたラザロが死にました。ラザロには2人の姉妹がいました。イエス様が姉妹たちに会いに来たのは、ラザロが死んでからすでに4日が経ち、墓に葬られた後でした。その時、姉妹の一人であるマリアとマリアを慰めていたユダヤ人たちは泣いていました。その様子を見たイエス様は、心に憤りを覚え、興奮し、涙を流されました。イエス様が涙を流されたのは、愛するラザロが死んだ悲しみだけではありませんでした。ラザロの死を悲しんで泣いているマリアと、そしてマリアに寄り添って一緒に泣いている人たちに対しても涙を流されたのです。そして、イエス様は「死」とは悲しみと絶望だけに終わるものではないことを教えるために墓に行き、墓の中からラザロを生き返らせたのでした。
 『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない』。イエス様はこのことを教えられるために、奇跡を起こされたのでした。

 今回の地震、津波によって多くの方々の尊い命が奪われました。家族、親類、友人、知人は一人ひとりの失われた命に対してどんなに大きな悲しみを心に受けているでしょうか。本当は泣き叫びたい気持なのだと思います。不安と失望で押しつぶされそうになっていると思います。しかし、被災者たちは悲しみに明けくれ、絶望しているだけではありませんでした。辛い中、勇気を振り絞り、被災者同士で助け合って前向きに力強く生きていこうとされています。そして、日本だけでなく世界中から支援の手が差し伸べられ、励ましのメッセージが届けられています。

 イエス様も、この想像を超えた今回の地震、津波、原発事故によるあまりにも大きな被害にきっと多くの涙を流されているのではないでしょうか。イエス様は被災者たちと共にいて寄り添い、共に泣いてくださっています。しかし、それと同時にイエス様はこの惨劇の中にも、また新たに立ち上がって生きていく力と勇気と希望を与えてくださっています。教会はあと2週間でイエス様ご復活の喜びの日を迎えますが、被災地も1日も早く復興することによって、被災にあった方々の生活が復活することを願います。

 そして、亡くなった方々をただ犠牲者として悲しみ・絶望だけのうちに葬ってしまうのではなく、被災された方々がこの悲しみ・痛みを乗り越えて、新たに立ち上がって力強く生きていくことが、亡くなった方々をも共に復活させていくことになるのではないでしょうか。

『わたしは復活であり、命である』。イエス様の復活の命が被災地・被災者・避難生活を送られている方々、そして亡くなられた方々に与えられることを信じています。