2011年10月2日      聖霊降臨後第16主日(A年)

 

司祭 セオドラ 池本則子

私たちが神様に献げるこの世の収穫

 ぶどう園の主人が農夫たちにぶどう園を貸して旅に出た。収穫が近づいた時、その収穫を受け取るために僕たちを送ったが、農夫たちはその僕たちを殺してしまった。そこで主人はさらに多くの僕たちを送ったが、農夫たちはまた同じように殺してしまった。最後に主人は息子なら敬ってくれるだろうと自分の息子を送ったが、農夫たちはその息子をも殺してしまったのだった。

 これは、イエス様が話された「ぶどう園と農夫」のたとえ話である。「ぶどう園」はわたしたちが住んでいるこの世界、「ぶどう園の主人」は神様である。神様はこの世界を創造され、その世界を見て「良し」とされた。その「良い」世界は神様の支配の下にあるが、神様はわたしたち一人一人を信頼し、「良い」世界の働き人として責任をもって生きるようにと、この世界を託されている、あたかも神様は旅に出てしまったかのように・・・。そして、ぶどう園の主人が収穫を受け取るために僕たちを送ったように、神様もわたしたちがこの世で収穫したものを受け取ることを望んでおられる。

 神様がこの世の収穫としてわたしたちに与えられていること、それはすべての人がお互いを大切にし合い、助け合って幸せに生きていくことであると思う。それが神様の望みであり、人類に対する大きな愛である。神様の働き人であるわたしたちはこの神様が望まれている収穫を果たしてきちんと神様に差し出しているだろうか。

 農夫たちは主人が送ってきた僕たちを殺すことによって、主人との関係を断ち切ろうとした。最後には「彼の相続財産を我々のものにしよう」と、その息子をも殺してぶどう園を取り上げ自分たちのものにしようとした。

 わたしたちもこの世において神様が望まれている生き方をしようとしないならば、それは神様との関係を断ち切ることになるのではないだろうか。神様はこの世にその独り子イエス・キリストを送ることによって直接神様の愛の業を示され、わたしたちがイエス・キリストと共に生きることを望まれた。しかし、そのイエス・キリストと共に生きることも拒否して、この世界を神様の支配から取り上げ、自分たちの思うように好き勝手に生きようとするのか。

 今年、日本は想像を絶する地震・津波・原発事故・台風の被害を受け、大きな苦しみ・悲しみを背負った。しかし、そんな中でも暖かい愛の心を見ることができた。ところがその一方、広く世界を見渡せば、まだまだ戦争・紛争・殺し合いが絶え間なく続いている。神様が支配されている世界とは程遠い、神様のみ心ではない欲望に満ちた世界である。

 わたしたちは神様を裏切ることなく、良き働き人として責任を持って神様から託されたこの世界で生きていきたいと思う。神様の愛によって成り立っているこの「良し」とされた世界を、神様の愛のいっぱい詰まった収穫として、イエス様と共に生きることによって戦争・紛争・殺し合いの無い、世界中の人がお互いを大切にし合い、助け合う世界を神様にお献げしたいと思う。