2011年12月4日      降臨節第2主日(B年)

 

司祭 ヨブ 楠本良招

「荒野に呼ぶ声」【マルコによる福音書1章1節〜8節】

 学生時代は聖書研究部に属していました。そこはミッション系ではありませんでしたが、機関紙は[荒野(あらの)]と言う名前でした。青春時代の文集で、今それを読むと[荒野]と名付けられたなつかしさがよみがえってきます。

 洗礼者ヨハネは「荒野に呼ばわる声」として現れました。彼は祭司の家に生まれましたが、祭司としではなく、教師としでもなく、ただ一つの声として現れました。しかも人通りのない荒野で叫びました。らくだの毛衣、皮の帯、食事はいなごとの野蜜だと、その姿が描かれています。洗礼者ヨハネの食事は自然にかなった方法ではなかったでしょうか。
 私の少年の頃はいなごを捕まえては焼いて食べたことがありました。いなごはたんぱく質が豊富です。そして野蜜や、椿の花の蜜で喉の渇きを潤した経験があります。その頃は自然がいっぱいでした。今はいなごも蜜も見当ない時代になりました。

 さて、荒野とは、イスラエルが40年間さ迷った場所、主イエスが荒野で40日試みに会われた場所でもあります。と同時に神さまの訓練の場所でもありました。
 荒野は、私たちの人生そのものであり、愛を失うような、冷たい場所であるかも知れません。しかし、この荒野の場所を恵みの場所とするためには、悔い改めの叫びに耳を傾けねばなりません。
 洗礼者ヨハネは、荒野で悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。悔い改めると言うことは、その当時のイスラエルの人たちには、自分たちのことではなく、異邦人がすることと思われていました。そのイスラエルの人たちに、あなたがたこそ悔い改めねばならないとヨハネは言ったのです。
 私たちは、罪の悔い改めの洗礼によって救われ、イエスさまの憐れみを受けています。私たちの人生を神さま中心に生き始めることから、人生の荒野から逃れることが出来ると思っています。

 洗礼者ヨハネは「わたしよりも優れた方が、後からおいでになる。わたしは水で洗礼を授けたが、その方は聖霊でパプテスマをお授けになる」と語りました。
 彼は、自分の立場を謙虚に知っていました。後からこられるイエスさまをメシアとして迎えるように民衆に伝えました。ヨハネ教団の人々にとってはつらいことだったのでしょう。自分の派が増えることに魅力を感じ、洗礼者ヨハネこそ、来るべき預言者との評判が、民衆の中にありました。彼は自分の立場を良く理解していました。「主の道を整える役目」をはっきりと示し、救い主イエスさまの出現を予告し、ヨハネ派と言うことではなく、民衆に冷静になるように告げたのです。
 ヨハネはメシアの到来のために、でこぼこ道を平らかにして、通りやすくするのが役割です。洗礼者ヨハネは縁の下の力持ちと言えます。

 私が洗礼の恵に預かったのは、大学1年生のクリスマスでした。当時の練馬聖公会でしたが、学生時代の聖書研究部での学びと機関紙の「荒野」のようにお互いに鍛えられた恵みがあったと思っています。
 私たちの荒野を神さまの恵みの場所となるように祈っていきたい。