2012年3月25日      大斎節第5主日(B年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

神様の栄光・多くの実り【ヨハネ12:20−33】

 イエス様の生涯も、いよいよ十字架に近づいてきた。
 弟子たちの元に、ギリシア人がやって来て、イエスに会いたいと言う。外国人を敬遠するユダヤ人の元にこのような来客は珍しい。弟子たちは相談し、イエスの元に連れてきた。その時、イエスは叫んだ。「人の子が栄光を受けるとき。多くの実を結んだ。」イエス様は、人々が、民族、宗教の壁を越えて結びついたのを喜んだのではないか。
 また次のようにも言われた。「今、この世の支配者が追放される。」実際には、現在に至るまで、「この世の支配者」は君臨し続けている。これは、「価値観」のことではないか。この世の価値観に流されない、真の価値観を、我々は持つことが出来る。それは、人と人との愛の交わりからもたらされる、と。
 この世に対して、「傍観者」である限り、この世の価値観から逃れられない。苦しみ、悩む人の元に赴き、彼らと深い交わりを持つとき、この世の価値観の欺瞞が見えてくる。実際に現場に赴けないなら、「想像力」が大切だ。「この苦しみが自分の身に起きたなら」と想像し、必要な行動を起こすこと。これが「自分の十字架を負う」事ではないか。