2012年4月1日      復活前主日(B年)

 

司祭 ヨハネ 井田 泉

ペテロと十字架

 ペテロはガリラヤ湖の漁師でした。ペテロはイエスに招かれて、イエスに従いました。

 最後の晩餐のとき、ペテロはイエスによって足を洗っていただきました。初めペテロはそれを強く辞退しました。しかしイエスは「わたしがあなたの足を洗わなければ、あなたとは何の関係もなくなる」と言われました。自分のきたない足を洗っていただくことは、はずかしいこと、申し訳ない、もったいないことでした。イエスの愛を深く感じました。
 ペテロはイエスを愛していました。イエスとともに苦しみを受け、死ぬ覚悟でした。

 食事の後、オリーブ山のゲッセマネに行きました。イエスが祈っておられるのを知りつつ、寝てしまいました。
 武器を持った者たちが来てイエスが捕らえ、引っぱって行きました。そのとき、ペテロはいったん逃げたものの、あとからこっそりとついて行きました

 大祭司の屋敷の庭に入って、召し使いたちと一緒に焚き火にあたっていました。
 「お前はイエスの仲間だろう」と問われて、3度も「違う」「イエスなど知らない」と言いました。
 ペテロはイエスを愛していたのに裏切ってしまいました。外に出て泣きました。
 悲しみと自責。いくら自分を罰しても罰し足りないペテロでした。自分を呪いました。
 十字架は悲しみの十字架。呪いの十字架でした。

 ペテロは故郷のガリラヤに帰りました。元の漁師に戻るしかありませんでした。
 ある晩、仲間の弟子たち数人と一緒に夜通し漁をして1匹も獲れず、疲れ果てて舟の中で倒れ込んでいたとき、岸辺にだれかが立っていて「子どもたちよ、何か食べるものがあるか」と呼びかけてきました。「ない」と返事しました。
 ヨハネがペテロに「あれは主だ」と言ったので、ペテロは海に飛び込んで、泳いで岸辺に着きました。
 岸辺には炭火がいこしてあって、魚の焼けるにおいがしていました。
 「さあ、朝の食事をしなさい」

 ペテロは、自分がイエスに愛されていることをもう一度知りました。否、はじめてそれをほんとうに知ったのです。
 あの大祭司の屋敷の庭で見た焚き火はおそろしい火でしたが、いま目の前に燃える火は優しい愛の火です。

 「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。」ヨハネ21:15

 わたしたちもイエスに招かれ、イエスに従いました。
 わたしたちもイエスに従うことができず、逃げることがあり、自分をごまかすことがあり、あるいは自分を責めることがあります。

 けれどもイエスはわたしたちのために、朝の食事を用意してくださいます。
 イエスに養われ、イエスの愛に浸されて、わたしたちもイエスを愛したい。
 イエスさまに託された何かを、だれかを大切に支え、守り、また養うことができますように。

 今、十字架の光がペテロを照らします。ペテロの仰ぐ十字架は愛の十字架です。このうえなく美しい十字架です。その光がわたしたちを照らしています。