2012年12月2日      降臨節第1主日(C年)

 

司祭 ヨハネ 古賀久幸

「身を起して頭をあげなさい」【ルカによる福音書21章より】

 所用で群馬に投宿していた深夜、突然ドンと下から突き上げる直下型の大きな揺れで目を覚ましました。「原発は大丈夫か?」と飛び起き、次に「ああここは家と違うんだ」と安堵しました。わたしの住んでいるところは日本で唯一稼働している大飯原発から8q。普段はあまり意識していませんが、深いところに大きな不安を抱えて生活していることを再認識した次第です。一瞬にして人間の営みをすべて変えてしまったあの激震、大津波、そして原子力災害。命とは、生活とは、希望とは、・・・答えをもとめて今も多くの人の呻きがこだましています。そして、次に襲ってくる天変地異に怯えるわたしたちの姿があります。
 宗教にはいわゆる「終末、世の終わり」を告げる部分があり、それに人々は関心を寄せざるを得ません。歪んだ終末観「ハルマゲドン」にかられたオウム真理教の凶行は記憶に新しいことですし、2012年12月(おおっ、もうすぐだ!)はマヤ暦に予言されている世界の滅亡の時だとか言われます。今日の平穏がいつまでも続くことは無いと漠然と知ってはいても将来どうなるか確証があるわけでもない、誰しもその不安から逃れられないのです。
 イエス様も終末に言及されています。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『ときが近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。・・民は民に、国は国に敵対して立ちあがる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴(しるし)が天に現れる。・・海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさの余り気を失うだろう。・・」−ルカによる福音書21章から−。
 このフレーズを読まれた皆様はどう思われますか。人間の営みをいとも簡単に呑み込み洗い流す自然災害や戦争の大波の前にわたしたちは常に無力感に苛まれ、怯えています。
 世の終わりに対する態度にはいろいろあるでしょう。どうせ滅びるならあとさき考えず好き放題しよう、あるいは絶望の中に引きこもろう、シェルターに入って助かろう、最終戦争に勝利しよう・・等。それぞれ抱いている終末観によって生きる態度や進む方向が違ってきます。そこで、イエス様の次のメッセージをわたしたちはしっかりと聞くべきなのです。「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る。このようなことが起こり始めたら身を起して頭をあげなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」―ルカによる福音書21:27以下−。
 終末の極み、不安と恐れと暗闇に染まったわたしたちという畑に天から救いの種が蒔かれる。人の子が雲に乗ってやってくるとはその視覚的な表現です。暗闇に覆われた時にこそ光が到来するときでもある、終末は新しい時の始まりであるという大いなる逆説に生きよという呼びかけです。
 災害や戦争や大事故は生と死に人間を無慈悲に振り分けてしまいます。生き残った者にも深い傷跡を刻印することもあります。それでも神様の手の中にある未来へと招かれているのです。
 不安と暗闇の中、神様の人の子は栄光無力な赤ん坊粗末な飼い葉桶という逆説の装いをまとってやってくる、これがクリスマスの意味です。このおおいなる逆説のドラマがわたしたちの世界に展開していることを信じ、身を起して頭をあげてみましょう。