2013年2月24日      大斎節第2主日(C年)

 

司祭 ヨシュア 柳原義之

「しかし、わたしたちの本国は天にあり…」

 2度目の転勤後、幼かった娘が「お父さん、ふるさとって何?」と尋ねた。きっと初めてのゴールデンウィークで幼稚園で先生が話した中にそんな言葉があったのかもしれない。その問いに「生まれたところとか、いうことかなぁ」と言うと、「わたしのふるさとはどこ?」と再び尋ねてきた。
 娘が幼いこともあるのと、初の赴任地で生まれ、2番目の教会で育ち、3番目の教会に移ったところだったので、答えを窮した。
 自分自身の生まれ育ちは、1回の引っ越しはあったものの近いところでもあり、迷わず言えるのだが、出生地にも、次のところにも割合短い期間での転勤でもあり、娘にとってのふるさととはどこかと考え込んだ挙句、「思い出のいっぱいあるところかなぁ」とある意味あいまいな答えをすると、娘は「じゃあ、〜〜」と前任地の名前を言った。確かにものごころが付き始めたところであり、近い記憶の詰まったところでもあり、そんな答えをしたのだと思う。
 パウロがフィリピの信徒に向けて表題の言葉を口にしたとき、キリキアのタルソスでもなく、また父から市民権を譲り受けたとされるローマでもなく、「天」としたのは、父なる神の存在するところであり、その右にイエスが座している「天」を思い浮かべたのかもしれない。何より彼は、取るに足りない自分自身をそのイエスによって救われ、宣教の業へと用いられる器とされたのだから。
 思い上がっていた自分が新たに生まれたところであり、思い出や感謝がいっぱい詰まったところであり、なしている宣教の業の果実、他から積まれるところである「天」こそ自分の「本国(国籍)」「ふるさと」と考えたのかもしれない。
 今、大斎節を歩み、イエスの歩んだ十字架の道を人生として歩いている皆さんの「ふるさと」はどこにあるだろうか。自分自身のことを考えれば、すでに生まれ育った家なども自分の手から離れ去った今では、洗礼によって新たに着けられた名と、自分を救いへと導いてくれたイエスのおられるところだけが「わたしのふるさと」と呼べるところだと思っている。やがてなつかしい「ふるさと」へと導かれるようにイエスの十字架の道を歩みたいと思う。