2013年11月24日      降臨節前主日(C年)

 

司祭 ヨハネ 古賀久幸

わたしを思い出してください

― そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。− ルカによる福音書23章42節以下

 11月は教会で逝去者を記念する月。墓標を磨き、鳥のさえずりを聞きながらお祈りをすると先に召されていった方々の思い出が心の中に立ちあがってきます。都会では人知れず孤独に死を迎えるケースが増えているそうです。誰の思い出の中にも残らないというのは本当に寂しいものではありませんか。死は生きることを、生きることは死ぬことをわたしたちに問いかけます。依存症とおぼしき人が酒臭い息で「生きる意味を教えてくれ」と教会に来られたことがありました。まだ若かった私はその迫力におろおろしてちゃんと答えられませんでした。今でも、あの問いに対する答えの確信がつかめないままです。

 ゴルゴタの丘に立てられた3本の十字架。イエス様を真ん中にして両脇は重罪を犯した死刑囚の姿が今日の福音書に描かれています。一方の罪人はイエス様に向かって「おまえはメシア(救い主)ではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」とイエス様の無力さをののしります。重罪人であっても、なりふり構わず助かりたいと思うのは人間の偽らざる心情でしょう。しかし、一方の罪人がイエス様にお願いした言葉は「わたしを思い出してください」でした。何億人もいる人間。その中でみじめな人生を生き、さらに悲惨な状況で死を迎えなければならなかったこの男の人生の意味とはいったいなんだったのでしょうか。その答えは誰にも出すことはできません。ただ、イエス様に「このわたしを、このわたしを思いだしてください」という彼の願いは人生の意味を考える上で深く示唆に富んでいると思うのです。

 毎日、保育園の子どもたちと一遍ずつ詩を味わう時間を過ごしています。最近、私がとても感動した詩をご紹介します。
    ひなたぼっこ                 こねずみしゅん
    でっかい うちゅうの なかから
    ちっぽけな こねずみ いっぴき
    みつけだして
    おでこから しっぽのさきまえ
    あたためて くれるのね
     ・・・・
    おひさま
    ぼく
    どきどきするほど うれしい     「のはらうたW」くどうなおこ 童話館より

 誰にでも、どこにでも注がれているはずの光。それを特にちっぽけな自分自身のためにだけと感じ、打ち震えるほど喜びにあふれるネズミにわたしの姿を重ね合わせてしまいました。