2013年12月29日      降誕後第1主日(A年)

 

司祭 バルトロマイ 三浦恒久

神の思いが凝(こご)って【ヨハネによる福音書1:1〜18】

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(ヨハネによる福音書1:1〜3)

 岩手県気仙地方の言葉で聖書を翻訳した山浦玄嗣さんは、ヨハネによる福音書の冒頭の言葉を次のように訳しています。

   初めに在ったのァ
   神様の思いだった。
   思いが神様の胸に在った。
   その思いごそぁ神様そのもの。
   初めの初めに神様の
   胸の内に在ったもの。
   神様の
   思いが凝って
   あらゆる物ァ生れ、
   それ無すに
   生まれだ物ァ一ぢもねァ (ヨハネ1:1〜3)

 初めに神の思いがあった。その思いが凝ってあらゆるものが生まれた。「神の思いが凝って」とは、心に響く翻訳です。クリスマスの出来事は、まさに「神の思いが凝った」出来事でした。

 イザヤはこう預言しています。

   ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
   ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
   権威が彼の肩にある。
   その名は、「驚くべき指導者、力ある神
   永遠の父、平和の君」と唱えられる。
   ダビデの王座とその王国に権威は増し
   平和は絶えることがない。
   王国は正義と恵みの業によって
   今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
   万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(イザヤ9:5〜6)

 救い主の誕生は、神の熱意の表れだとイザヤは告げています。「あなたを愛さずにはおられない」この神の熱意が、クリスマスの出来事の原点なのです。

 そして、わたしたち自身もまた、神の熱意に包まれた者、神の思いが凝って存在する者なのです。

 「君は愛されるために生まれた」という韓国のゴスペルがあります。

   君は愛されるため生まれた
   君の生涯は愛で満ちている
   君は愛されるため生まれた
   君の生涯は愛で満ちている

   永遠の神の愛は
   われらの出会いの中で実を結ぶ
   君の存在が
   わたしにはどれほど大きな喜びでしょう

   君は愛されるため生まれた
   今もその愛受けている
   君は愛されるため生まれた
   今もその愛受けている

   君は愛されるため生まれた
   君の生涯は愛で満ちている
   君は愛されるため生まれた
   君の生涯は愛で満ちている

 このゴスペルで歌われているように、クリスマスの出来事は、神の一方的な恵み、熱意、熱愛、熱情の表れとしての出来事なのです。