2014年4月6日      大斎節第5主日(A年)

 

司祭 サムエル 奥 晋一郎

ラザロの生き返った出来事を通して【ヨハネ11:17−44】

 4月になりました。寒い冬から、暖かい春になりました。庭や花壇にはたくさんのきれいな花が咲いています。桜も満開です。そんな中、教会歴は大斎節第5主日を迎えています。3月5日から続く大斎節の期間もあとわずかとなり、2週間後の20日にイエスさまのご復活をお祝いするイースターを迎えます。今回は最初に大斎節第5主日の福音書に選ばれている箇所の後半部分、ヨハネによる福音書第11章38節〜44節を見てみましょう。
 ラザロが死後4日たち、墓に葬られています。そんな状況にあって、イエスさまは天を仰いで言いました。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」その後、イエスさまが「ラザロ出てきなさい」と大声で言いました。すると、ラザロは手と足と布で巻かれたまま出てきます。イエスさまは死んだラザロを生き返らせました。そしてイエスさまは人々に布をほどくようにと言われたのでした。
 死は人間にとって絶望と深い悲しみをもたらします。それに対して、イエスさまは死が絶望と悲しみに終わるものではないこと、神様が共にいてくださっていることを人々、ことに悲しんでいる人々に示すためラザロを生き返らせました。ところが、このラザロが生き返った出来事は、イエスさまを死に追いやる直接的なきっかけとなりました。この出来事を機に祭司やファリサイ派の人たちはイエスさまを殺すことに決め、最終的にイエスさまは十字架に架かることとなりました。しかし、イエスさまの十字架は単なる死で終わることなく、3日後にイエスさまは復活されました。イエスさまは死で滅びることはない永遠の命を人々に示すために、そして、神様の栄光をこの世に示すために、十字架の道を歩まれたのでした。
 このラザロの生き返りの出来事とイエスさまの十字架と復活の出来事を通して、イエスさまは今を生きるわたしたち、ことに死を含めた絶望と悲しみ、苦しみ、悩みの中にあるときに、それがいつまでも続くのではないこと、そんな時であっても神様が、イエスさまが私たちと共にいることを伝えてくださっています。また、私たち一人ひとりを励ましてくださっています。このことを覚えて、わたしたちはイエスさまの復活を祝う、イースターを迎えることができるように、これからの日々を過ごしていくことができればと思います。