2014年5月25日      復活節第6主日(A年)

 

司祭 マタイ 出口 創

私たちの主成分は何でしょう

悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。 ペトロの手紙一3:9

 神学生の頃にある司祭から、「司祭は人を呪えない」と聞いたことがあります(呪いたくても?)。どれだけ赦せない事情がある相手であっても、祝福を与えなければならないのです。どれだけ人から悪や侮辱を与えられているとしても、遥かに多く、圧倒的に深く、神の赦しと祝福を受けていると信じているからです。でも別に司祭に限った訳でもないと思うのですが…

 人から何を受けたとしても、神がイエス・キリストを通して与えている赦しと祝福、恵みが圧倒しているはず。言い換えると、私たちは、神が与えている圧倒的、絶対的な赦しと祝福、恵みから成っていることになります。要は、「あなたの主成分は、神からの祝福なのだから、その祝福を取り次いでね」ということなのだと思います。

 イエス様が神を示したのは、イエス様の成分が神だったから。そのイエス様がつながっている私たち(ヨハネによる福音書15:4)の主成分もイエス様=神ということになります。だからこそ、祝福を受け継いで取り次ぐことを託されているのだと思います。