2014年12月14日      降臨節第3主日(B年)

 

執事 マタイ 古本靖久

彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。(ヨハネによる福音書1章7節)

 降臨節第3主日になりました。今週はヨハネ福音書のみ言葉に耳を傾けたいと思います。今日の箇所には、洗礼者ヨハネが出て来ます。先週の福音書(マルコ1:1−8)にも洗礼者ヨハネが登場しました。聖公会では三年周期で福音書を読んでおりますが、どの年も、降臨節第2主日と第3主日には洗礼者ヨハネの出来事が語られます。それは、「主の道をまっすぐにする」という彼の役割と、わたしたちが降臨節の期間に自らの心を備えるという意味とが結びつくからだと思います。
 ところで、マタイ・マルコ・ルカのいわゆる共観福音書と、ヨハネ福音書とでは、洗礼者ヨハネの描き方はかなり違っています。ヨハネ福音書には、彼の風貌や彼が預言者エリヤの再来であるという記述、また先駆者としての位置づけなどは一切書かれておらず、証言者として報告されます。つまり、「イエス様について証しする者」としての役割や使命が強調されて書かれているのです。
 洗礼者ヨハネは問われます。「あなたはどなたですか」と。彼はキリストではありませんでした。彼は証しするために、光であるイエス様について証しするために、そしてすべての人がイエス様を信じるようになるために来たメッセンジャーでした。
 わたしたちは降臨節に、自分自身の心を整えます。その時にこの洗礼者ヨハネの物語が語られる意味は何でしょうか。聖書は何を語っているのでしょうか。わたしはこう思います。「あなたは一体、誰なのか。わたしを信じる者なのか。わたしを証しする者なのか」と、問われているのではないかと。
 わたしたちはイエス様の福音を、その良き知らせを多くの人に伝えるようにと促されています。洗礼者ヨハネと同じように、わたしたちもイエス様について証しするようにと命じられているのです。とても難しいことのように思えるかもしれません。でも、決してそうではないのですね。
 あなたは今まで、イエス様を救い主として信じたことで、自分が変えられたことはありませんか。あなたは毎日の生活の中で、神さまからお恵みを頂いていると感じたことはなかったでしょうか。それらのことを、あなたが神さまに感謝し、涙したその出来事を周りの人に伝え、分かち合うことが「証し」なのです。
 言葉で伝えることが出来なかったとしても、大丈夫です。今日読まれた使徒書、以下の言葉のように毎日を生きることが、イエス様を証しすることなのです。
 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。(テサロニケの信徒への手紙一 5章16〜18節)