2015年6月7日      聖霊降臨後第2主日(B年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

皆の幸せを祈る共同体【マルコ3:20−35】

 家族は最も身近な共同体です。だから愛情も、葛藤も深まります。私たちは、家族の幸せを祈ります。その幸せの多くは、「社会に受け入れられること」です。社会で評価され、社会で用いられるお金を得、社会の常識の中で生きることを求めます。それは大切ですが、それを超える幸せもあります。「人の子らが犯す罪…は赦される。けれども、聖霊を冒涜する者は、…赦され」ない。社会を超える幸せは、神様によってもたらされる幸せであり、それこそが本当の幸せであると、イエス様は言われます。
 社会より神様の価値観を選び取ることは、正しいことです。けれどもその正しさに必要なものがあります。それは優しさです。正しいからこそ、人を受け入れ、人の幸せのために祈り、行動することが必要です。
 イエス様は、自分を批判する人々に対して、語り合い、理解を求めました。十字架に掛けられたときも、人々の赦しを祈られました。復活されたときも、自分を見捨てた弟子たちに祝福の言葉を掛けられました。
 教会も、自分のためだけでなく、皆の幸せを祈り、行動する共同体でありたいと思います。その優しさが広がることが宣教ではないでしょうか。