2015年11月8日      聖霊降臨後第24主日(B年)

 

執事 ダニエル 鈴木恵一

 11月は教会の暦では、1年の最後にあたります。まもなくやってくる降臨節(アドベント)から1年が始まります。
 主日の福音書は、イエスさまのエルサレムへの旅が朗読されてきました。そして、イエスさまはいよいよエルサレムの町に入り、神殿の境内でのできごとが読まれます。
 イエスさまの時代は、エルサレムの神殿には多くの富と権力とが集まり、神殿に仕える人々の中には裕福な日もありました。
 そのような人々と正反対の立場にあったのが、夫を失った女性(やもめ=寡婦)でした。寡婦は寄留の他国人や孤児ともに社会的に弱い立場にあり、これらの人々を大切にするように律法は定めていました。「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く」(出エジプト記22:20−22)
 神殿に祈りをささげる人々のなかで、イエスさまは一人の貧しいやもめの姿を見ました。彼女はレプトン銅貨2枚を賽銭箱に入れました。その姿を見たイエスさまは、弟子たちを呼び寄せて、「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」と言われました。
 レプトン銅貨は当時の貨幣の中で最も小さなもので、レプトンには「うすいもの」という意味があります。そのレプトン銅貨でも、彼女のその日の飢えをしのぐためにも大切なものであったはずです。
 イエスさまの言われた言葉の中にある「生活費」には「人生」や「生活」という意味もあります。彼女は「生活のすべて」を神さまにささげたということもできます。全ての財産を差し出してしまったら、何も残るものありません。この女性の献金は無謀なことのようにも思えます。
 今日の旧約聖書では、神さまはサレプタのやもめに預言者エリヤを養わせました。彼女も最後の小麦をエリヤのために差し出しました。すると、神さまの言葉が実現し、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならなかった。とあります。全てを差し出したところに神さまの救いの力が働いた出来事です。
これらのやもめの姿は、全てを差し出したイエスさまの姿に重なります。イエスさまの受難の十字架と復活のできごとは、神さまに全てを信頼し全てを差し出されたできごとでした。