2016年1月3日      降誕後第2主日(C年)

 

司祭 マタイ 古本靖久

「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイによる福音書2章23節b)

 今日の福音書の場面は、どのようなことをわたしたちに伝えようとしているのでしょうか。一言で言うと、神さまのご計画が開始されたということです。イエス様の誕生とは、神さまがみ手を伸べ、わたしたちの歴史の中に介入して来られた出来事であることを、伝えようとしているのです。
 イスラエルの人々は、救い主を待ち焦がれていました。神さまが自分たちを暗闇から光へと引き上げてくださることを、心待ちにしていました。それらのことは、預言という形で旧約聖書の中に示されていました。そしてマタイ福音書は、イエス様こそわたしたちが待ち望んでいる救い主だと告げます。旧約の預言者を通して、わたしたちに示されていた人物だというのです。
 今日の箇所を見てみると、「実現した」と繰り返し書かれています。イエス様の出来事は、イエス様やその家族、あるいは当時の人々の意志でなされたことではありません。神さまのご計画によってなされた、神さまの大いなるみ業なのです。
 乳飲み子イエス様がエジプトに逃れ、そしてユダヤへと戻ってきた出来事、これはイスラエルの人たちにとって、出エジプトの物語を思い起こさせるものです。彼らは苦しみの中で、新しいモーセが来て、自分たちを解放してくれることを求めていました。
 その解放が今、イエス様の降誕によって始められたのです。聖書の預言は、そして神さまの約束は二千年前にすでに始まり、今を生きるわたしたちも、その大きな救いのご計画の中で日々を過ごしているのです。
 わたしたちには、嬉しいことや楽しいことがたくさんあるでしょう。しかし同時に、自分の力だけではどうしようもない苦しみも悲しみも襲ってきます。なかなか光が見えず、歩くことすらできない、そのような思いを全く持たない人はいないと思います。
 しかし、聖書を通して神さまはわたしたちに告げるのです。恐れるなと。あなたたちの状況はよく知っている。だからわたしは、あなたたちを救うために、愛する独り子を遣わしたのだと。それがわたしの思いなのだと。
 その神さまの大きな愛に裏付けされたご計画の中で、わたしたち一人ひとりを闇から救い出すためになされた出来事が、イエス様の降誕物語なのです。
 この一年、神さまの救いの業を感じながら、過ごしてまいりましょう。