2016年7月17日      聖霊降臨後第9主日(C年)

 

司祭 エレナ 古本みさ

『必要なことはただ一つ!』【ルカによる福音書10章38−42節】

 学校でのチャプレンとしての働きと、教会での協力司祭としての働き、そして家庭での母親としての働き。わたしは現在これら三足のわらじを履いているわけですが、しょっちゅうその優先順位に悩まされています。子育てと仕事のどっちを取るか、それは働く女性に共通する永遠の悩みかもしれません。また同じく司祭である夫も、教区と教会と幼稚園、PTAに町内会とわらじをいっぱい履いていて、我が家のカレンダーは予定を書いたり消したり、常にぐちゃぐちゃになっています。何がいちばん大切なのだろう? どうやったら全部を満足にこなせるだろう? これで本当にいいのだろうか。ときどきため息をつきながら考えさせられます。

 マルタは旅の途中で立ち寄られたイエス様一行をもてなすため、こまねずみのようにくるくる働いていました。イエス様に喜んでもらいたいという一心で。でも、ひょっとしたら、そこに「マルタ、ありがとう!」と言ってもらいたい、「マルタ、料理が上手だね!」と褒めてもらいたい、そんな気持ちも混じっていたのかもしれません。わたしだったらまちがいなくそんな思いを持ってしまうことでしょう。イエス様のためにやっているはずなのに、いつの間にか自分のためになっているのです。だから妹のマリアが手伝ってくれず、自分の思い描く完璧なごちそうができないことにいらいらしたのかもしれません。
 イエス様はそんなマルタに対し、やさしく諭すように言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである」。イエス様の言われる「必要なこと」、それは主のみ言葉を聞くということでした。それはすなわち、何をするにも自分の声ではなく、神さまの声を聞いて神さまのために行うということです。マルタがもし、イエス様たちをもてなすことが神さまのためと知っていたなら、たとえごちそうがスーパーで買った出来合いのものとなっても、妹がイエス様の話を聞いていることを喜び、自分にできる範囲のもてなしを良しとできたのでないでしょうか。

 必要なことはただ一つだけ。それはこの目まぐるしい日常の中で、数々の「絶対しなければならないリスト」に優先順位を付けるということではなく、常に神さまのために生きる、すなわち愛に生きるということです。完ぺき主義になる必要はありません。何をするにも、建設途中の<神の国>をほんの少し大きくするためであることを心に留めていれば、イエス様は多少の手抜きはゆるしてくださいます。