2017年9月10日      聖霊降臨後第14主日(A年)

 

司祭 マタイ 古本靖久

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。【マタイによる福音書18章20節】

 わたしたちとイエス様って、どんな関係なのでしょうか。人によって感じ方は様々だと思います。いつも陰で見守っている方、自分の前に立って導いてくださる方、一緒に泣いてくれる方。聖書を読んでいると、いろいろなイエス様の姿に出会うことができます。そして「イエス様は自分にも同じように接してくださるに違いない」という安心感を得るのではないでしょうか。
 今日の箇所で、イエス様はわたしたちとこのように関わると約束しておられます。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と。今日はこの言葉について、少し考えていきたいと思います。
 ずいぶん前の話になりますが、わたしは祈りとは個人でするものだと思っていました。「隠れた場所で祈りなさい」というイエス様の言葉を大事にするがあまり、人前では形式的な祈りをし、本当に祈りたいことは夜中に布団の中でこっそりと祈る。そんなことをしていたように思います。
 でもある日、一人の人のために集まってお祈りしようという機会が与えられました。その場にはいないその人のために、一人ひとりが自分の言葉で祈りをつないでいく。涙を流しながら祈る人もいれば、神さまに心の葛藤を叫ぶ人もいる。わたしも「アーメン」と祈りながら、いろんな思いを感じていました。そしていつしか心の中に、お祈りをしている大切な人のことが浮かんできました。と同時に、イエス様も今ここにいる、その確信が与えられたのです。「二人または三人がわたしの名によって集まるところ」、そこにイエス様がいてくださるという約束が、自分の心にストンと落ちた瞬間でした。
 誰かと共にいること。そして一緒に祈ること。簡単そうで、本当は難しいことかもしれません。しかしそこには、大きな喜びがあります。豊かなお恵みがあるのです。そして何よりも、イエス様が一緒にいてくださいます。その約束に、心から感謝したいと思います。