2018年2月11日      大斎節前主日(B年)

 

司祭 エッサイ 矢萩新一

「イエスさまなら」【マルコ9:2−9】

 今週の水曜日からは大斎節が始まります。大斎節はイエスさまの十字架へと向かう歩みの中で行われたみ業に従い、私たちが受けた愛の大きさをもう一度思い起こし、それを隣の人々に伝え、実践していくことを意識する期節です。
 今日の福音書では、イエスさまの変容の物語が記されています。ご自分の死と復活を予告された6日後、高い山に登られたイエスさまは、3人の弟子たちの前で真っ白に輝き、栄光の姿を現されました。その時、雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け。」との神さまの声が聞こえました。この言葉の中に、私たちが大斎節の間、大切にしなければならない福音のテーマが示されています。それは、イエスさまに聞き、イエスさまのみ業に従うということです。イエスさまならこんな時、どのなさるだろうかと考え、祈り求め、行動することです。
 「神さまの愛する子であるイエスさまに聞き従う」ということの意味は、すぐには理解できないかも知れません。すぐそばにいた弟子たちでさえ、イエスさまが実際に十字架に架けられ、復活された時に初めて、語られた一つ一つの言葉の意味や、示してくださった愛の大きさがわかり始めました。私たちも例外ではなく、忘れやすく、物事が理解できるまでに時間のかかることが多くあります。
 だからこそ、毎年毎年、教会の歴を守りながらイエスさまのご生涯をたどり、今年も額に棕櫚の灰で十字架を記し、大斎節の時を過ごそうとしています。私たちキリスト者の使命は、イエスさまの十字架の死と復活、示された行いや言葉を語り継ぎ、実践していこうとすることです。その為には、何度も何度もイエスさまに立ち返ること、私たち一人一人は神さまから愛されている大切な存在なのだということを繰り返し確認していくことが、イエスさまに聞き従う私たちの信仰であることを今日の福音書から学びたいと思います。
 これから始まる大斎節の間、イエスさまの声に聞き従う、やわらかい心とやさしい愛の眼差しを忘れずに過ごしていければ素敵だと思います。